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明日はプリキュア

 ということで、第16話のおさらいをしておきましょう。
 この回はストーリー的な完成度では批判を浴びていた反面、奇跡的と言っていいほど幸せそうな映像をつくりあげることに成功しており、今までのストーリー全体を通しても非常に価値の高いものとして評価されています。

 それが「実質30秒にも満たない」オクラホマミキサーのシーンを指していることは言うまでもないのですが、これはその30秒間の作画や芝居が単に優れていたという代物ではなくて、そこに至るまでのフィルムの流れが産み出した映像であることもまた理解されていることでしょう。
 それはまず「パンをくわえて登校して遅刻」という学園ラブコメの王道から始まり(ラブコメ的でありながら相手役の男が登場しないことに注意しなくてはならなくて、この演出は「学園もの」の楽しさに味付けをする意匠としてのみ用意されている)、直後の演出で白眉なのは、遅刻したなぎさに対するよし美先生とクラスメイト達のリアクションです。「アウトぉ!」という台詞と共にサムズアップし、他愛のない罰を与え、そして指でバッテンを作って笑いを注ぐクラスメイト……。平和極まりない学園生活。この時点で「学園ものアニメ」としての幸福感はほぼ完成されていると言ってもいいでしょう。
 その流れの先に、あのダンスシーンが加えられることで映像が活き、たまらなく幸福なイメージを漂わせることになります。

 さて、第16話は「ストレス全開!マドンナはつらいよ」と、サブタイトルがゲストキャラを押し出している割に、結局は主人公ふたりにスポットが当てられた話になっています。あくまで主役は主役、ということでしょう。
 マドンナの役割は主人公達の「観察者」として終始し、ほのかという親友を持ったなぎさと、親友らしい相手が居ないマドンナの対比が一貫して描かれてます。


 増殖したマドンナがストレス解消の為にやろうとしたことは、「ひとり遊び」でした。ひとりだけで行われる「花いちもんめ」……。なぎさとほのかの幸福なオクラホマミキサーを経験した後だけに、視聴者はそこに言いようの無い居心地の悪さ、気持ち悪さのようなものを覚えます。沢山のマドンナに囲まれたなぎさが「キモイ」と感想を漏らしたのも、彼女達が「どこまでいってもひとりでしかない」からではなかったでしょうか。
 それとは対照的に、なぎさとほのかはどこまでも協力的に、相互補助的に描かれます。ほのかがアイディアを思い付き、なぎさがそれを発展させ、オフェンスとディフェンスを役割分担し、行き過ぎたなぎさをほのかが抑え、ボケにツッコみ……というように。

 戦いを通して第16話で印象的に描かれるのは、ふたりのプリキュアの力関係の変化です。
 第2話では「脳天気なほのか」の率先に対して「現実感覚のあるなぎさ」が追随していくという構図が提示され、暫くはその関係が維持されてきました。第16話ではその構図の逆転を発見することができます。*1むしろ「アクティブななぎさ」に「パッシブなほのか」が引っ張られるという構図にシフトし、更に言えば、ドツクゾーンとの戦いを「ありえない」と感じ続けていたなぎさが「ほのかと一緒に戦うことに喜びを感じ始めている」という変化が、明らかにあるわけです。
 この変化は第15話において「力を合わせて……」となぎさがさなえの言葉を反芻し、「伝説の武者達」の友情に共感していた描写と符合します。その点で15、16話は連続したエピソードであり、シリーズ構成が活きていることが窺えるでしょう。*2

  • 今後の課題

 ただこれから『ふたりはプリキュア』という物語が解決しなければならないのは、この幸福な共闘関係がふたりの間だけで閉じている、という問題についてです。
 確かに親友が存在するということは素晴らしい。しかし、ならば親友を持たない人間(ここではマドンナ)はただストレスを抱え、恥ずかしさを耐え続けるしかないのか? イチャイチャっぷりを周囲に見せびらかしているだけでいいのか? 第16話は、こういう疑問に対する答えを保留したまま終わっています。いずれは克服されるのだと期待していますが。*3

*1:これは放送当初から予想していた展開なので嬉しい

*2:ただ、回想シーンのモノローグではそこらへんのやり取りがすっとばされていて、繋がりが見えにくい、という至らなさはある

*3:ここでマリみてを例に持ち出すのはどうかと思うが、マリみての場合「あえてパートナーを作らない生徒」の心理もしっかりとケアされていて、だからこそ主要カップルを安心して見ていられるというフォローが物語側からされている