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恋愛漫画にとって歴史的に感じる出会い/竹宮惠子×仲谷鳰対談

 『響け!ユーフォニアム2』に見る恋愛のアレゴリーと、『やがて君になる』の百合以来、丸半年ぶりのブログ更新です。


 今日は京都精華大学オープンキャンパスで行われた、竹宮惠子学長と、同大学の卒業生でもある仲谷鳰(『やがて君になる』)の対談イベントを聴講してきました。


 講義としては、大学側の司会進行によるお題に、お二方がそれぞれ答えていくというスタイルで、「影響を受けた作品」など基本的なテーマもあったのですが、今回は「恋愛表現」「BL(少年愛)」「GL(百合)」という、メインと思われる話題に絞って感想を残しておきたいと思います。

BL/GLを選択する動機

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 まず、竹宮先生が風と木の詩という少年愛作品を手がけることになった動機や経緯についてはさまざまな媒体で幾度も語られてきたことなので、言わずもがなな読者も多いと思いますが……。
 要点を振り返れば、「旧態依然の少女漫画という状況に対して、編集者(当時はほとんど男性)の考え方を打破したり、抑圧されていた少女の性の解放をしたかった」という動機が先にあった。少年愛という(当時においては革新的すぎた)題材は、この「少女の性解放」を実現するための方法として戦略的に選んだところがあり、本人にしてみればBLだろうと、GLだろうと、年齢差のある恋だろうと、「当時抑圧されていたもの」を描けるのならば特別な違いはなかったという。
 だから『風と木の詩』はBLの文化を切り開いた作品、と評価されることも多いが、作者自身の目的は「性の抑圧の打破」そのものだったのであって、既存の価値観をひっくり返す役には立てたかもしれないが、BLを文化にしようと思ったことはまったくなかった、という認識のズレがあったりもする。


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 一方でやがて君になるは元々「百合」という文化が存在する前提で発表されている作品であり、そこに当然、時代の開きというものがある。
 しかし前回のエントリでも触れていたように、『やがて君になる』は恋愛至上主義的な、「恋愛こそが特別」「恋愛するのが当たり前」という価値観を疑った上で恋愛を描く、というテーマを持っている。
 作者にとってみれば「そのテーマを描くだけなら、BLでもGLでも、異性愛でもよかったかもしれない」と前置きしつつ、「でも百合になったのは私の趣味で、それが好きだから」と、ちょっと笑いながら(照れながら)理由を語ったりするところでもある。


 どちらも同性愛の表現に対して「BLやGLという手段にこだわる必要はなかったかもしれない」という出発点を共有しつつ竹宮惠子による「どうしようもなく、当時はその表現にするしかなかった」と言わんばかりの、激しい衝動すら感じさせる創作動機に対し、仲谷鳰の「自分が好きだから」を動機にしてもよい自由さ……というのは、確かに時代の変化を実感させられます。
 いろんな表現の選択肢があるなかで、その頃の気風や状況に抗いながら戦略的に選ぶのではなく、自由に、自分の好みで選ぶことのできる時代というのは、確かにいいものだと思えますし、竹宮先生が「解放」した恋愛表現が今しっかりと実を結んでいると感じられるからです。


 その意味で、漫画における同性愛表現を開いた作家と、最前線にいる作家のあいだで「パスが通っている」様子を見ることができたような気がして、歴史的なイベントだったのではないかと言いたくなるところです。


恋愛表現としてのBL/GL

 また仲谷鳰が言うには、恋愛ドラマというものは「禁じられたり、秘密があるほど面白くなる」という側面がどうしてもある。
 竹宮惠子にとって、『風と木の詩』はその意味で「抑圧」ありきだった。「少女漫画で描いてはいけない、女の子が見てはいけない、考えてはいけない」と言われるものだからこそ描く意義があった。
 だが現代では同性愛者が抑圧される姿は見たくないし、あってほしくないと考えもする仲谷鳰は、「同性愛とは無関係な要素」から生じる「隠さなければならない感情や関係」を用意することで、同性愛の表現と「禁じと秘密を抱えた恋」の表現(=その緊張感や面白さ)を両立させたかったという。


 これも両者の時代の対称性を感じさせる違いですが、ただ単に「かつては同性愛への抑圧があって、今はない」という単純な、楽観的な変化になっているわけでは決してなくて、今もまた「同性愛への抑圧を他の要素に置き換えたい」という、現在進行系の「打破」が行われている最中なのだ、という示唆も感じさせる話でした。


 以前の別のエントリの語り直しにもなりますが、「恋愛漫画」という大きな枠のなかで、BLやGLというテーマが自由に、当たり前のように描かれる/読まれることが理想なんじゃないかとぼくも思います。


 「禁じと秘密」は、広い意味で恋愛漫画の王道」となるわけですが、その王道にGL(百合)を位置づける際に、かつての抑圧感とは異なるかたちで「百合の王道」を改めて通したかったという仲谷鳰の思惑は「百合」にとって革新的でもあるし、「恋愛漫画」にとっては直球そのものだと言える……という二面性はとても考えさせられるところがありますね。

竹宮惠子の『やがて君になる』評

 ところで、先述したように「司会進行に沿って各々がお題に答える」というスタイルの講義だったため、「2人が互いについて語り合う」という場面は少なく、そこが物足りないかな、と途中までは感じる部分もありました。
 そもそも、このイベントをニュースで知った時にまず気になったのは、精華大の学長と卒業生という繋がりこそあれ、はたして竹宮先生は百合に興味があるのか、『やがて君になる』をどう評価するのか? という点でしたからね(と、いうことを気にしたのは仲谷さんが一番だったかもしれません)。


 それでもところどころ感動的な対話もあり、「自分は恵まれた環境で、竹宮先生のように特に障害があるわけでもなく百合を描けた」と言う仲谷さんに対して「すごく時代が進んだことを感じて、私の後まで続いていることがすごく喜ばしい」「(感謝を言われて)いや私がしたくてしてたこと」と返されたやり取りだったり。
 特に講義が終わりかける頃、竹宮先生が一言、


「(あなたの作品は)愛情を使い切ってしまわないように、相手を探る気持ちがあるのがいい


と評されていたのが、実に短く、詩的に『やがて君になる』の魅力を言い表していて、やはり竹宮先生、少女漫画家の言葉だ……と、胸に響きました。百合や『やがて君になる』のいちファンとして、なぜだか自分のことのようにも嬉しく思えるひとときなのでした。



※以上はメモと記憶を元に構成しており、もし発言の聞き間違いなどがあれば申し訳ありません

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