HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

第16話2周目

 では、マドンナ・小田島友華先輩のキャラを掘り下げてみよう。
 友華は、なぎさとほのかの長所を合体させて強化したようなスーパー女子校生(体育会系と文化系を制覇し、美少女で家柄も良く人気者)として印象的に登場する。

  • 友華から見たなぎさ

 ただ、友華はなぎさの性格的な長所を受け継いではいない。なぎさはバスケットボールを通じた「ボケ」で自然と周囲の笑いを引き出すことができるのだが、それ(=ボケ)は友華にはできない芸当なのだ。ここで「ムッ」とした表情を彼女はなぎさに向ける。
 友華がなぎさに対して持った第一印象は、多分「嫉妬」や「羨望」であることが想像に難くない。他人の感情の変化に敏感ななぎさは、「ひょっとして嫌われてる?」、と、彼女が自分を特別扱いしていることを鋭敏に感じ取る。

  • 友華から見たほのか

 人気がありながら、特定の親友を持たないように見える友華の姿は、どちらかと言えば以前のほのかの姿に近しい。同じ科学部に在籍することで、「マドンナ」が「うんちく女王」に対して同族意識・仲間意識のようなものを抱いていた可能性は低くない。ひょっとすると、ほのかの存在が、友華の孤高さを慰めていたかもしれない。

  • 友華から見たなぎさとほのか

 そこで、ほのかがなぎさと幸せそうにフォークダンスを楽しみ、仲良く下校している様子を友華は発見する。それも、なぎさの無邪気さにほのかが引っぱられているという形で。更に、なぎさは「(科学部は)ほのかに任せておけば全然オッケーですよ」と、意図せず「あなたは必要ない」宣言をしてしまうのだ。
 友華は「ほのかを取られた」あるいは「ほのかに抜け駆けされた」と感じたかもしれない。
 なぎさに対しては「私が小学生だったら」と潜在的な憧憬を明らかにしながらも、冷たく当たってしまう。また、「あなた達に、マドンナと呼ばれる者の苦労なんてわからないわよね」と、ほのかが自分の理解者足り得なくなったことを認識している。

  • ストレス全開

 ほのかという支えを失い、なぎさへの憧憬によってピークに達した友華のストレスは、ポイズニーの策略によって噴出させられる。
 「小学生のように遊びたい」という潜在的な欲求がそれによって満たされた……かというと、そうなのかどうかは描かれないままフィルムは終わる。だから、ポイズニーが結果的にいいことをしたのか、悪いことをしたのかも良く解らない。一面的には説明不足とも言えるし、一面的にはしゃれた演出だとも言えるのだが。
 ただ、彼女がピアノと英会話のレッスンを一日サボることができた、という事実だけはある。ラクガキされた自分の顔も、家族(使用人?)や家庭教師に見られたかもしれない。
 ……どっちかというと、その方がストレスが溜まりそうなシチュエーションなのだが、これをどう解釈するかは視聴者に任せられている。

 マドンナの顔にラクガキして、それを笑いの対象にしてしまえる生徒は、おそらくベローネ学院の中でなぎさただひとりであると思われる。
 藤Pやほのかに対してもそうなのだが、なぎさは「女子の憧れの的」だったり「うんちく女王」だったりする他者の「レッテル」に、全くこだわりを見せない人間だからだ。だから多分、マドンナの朝寝坊癖や、隠れた幼児性を知った所で、まったく気にやしないのがなぎさという女の子であろう。
 ただこれも、フィルムの中で肯定的に描かれるわけでも、友華との関係が深まるように描かれるでもないし、次回でフォローされるようにも見えない。
 あえて説明過剰にしないことも演出上の選択かもしれない。だが多くの視聴者(要はアニメオタクなんだが)が今話のオチに「?」を浮かばせている以上、やはりストーリーの詰めが甘かったのだと思う。


 もちろん、こういう批評的な視点を持ちつつ「キッズアニメだから」「制作が満足じゃないだろうから」「心で楽しめればそれでいい」「TVシリーズは一話単位じゃなくてシリーズ全体で評価すべき」というバイアスをかけて許容する態度も必要であることを記して本稿を閉じる。