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アヒルさんチームの魅力とその「根性」の意味

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 ガールズ&パンツァー 劇場版』Blu-ray Diskが発売されて6日が経ちました。
 このブログで「ガルパン」を記事にするのは初めてなのですが、Twitterでは結構たくさん語っていたりするので、その一部をここにも書き留めておこうかと思います。


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 主に取り上げたいのはTV版のことで、全編通して一番好きなのが、VSプラウダ戦クライマックスのこのシーン。

佐々木あけび「もうダメかも〜。ふぅぇ〜ん」
磯辺典子「泣くな! 涙はバレー部が復活したその日のために取っておけ!」
あけび「はぁい!」
近藤妙子「大丈夫! こんな砲撃、強豪校の殺人スパイクに比べたら、全然よね!」
河西忍「そうね! でも今はここが私たちにとっての東京体育館! あるいは代々木第一体育館!」
ヒルさんチーム「そ〜れそれそれー!!!」
(TV版第9話)


 めっちゃ熱くて泣けますね。「でも今はここが私たちにとっての東京体育館! あるいは代々木第一体育館!」「そ〜れそれそれー!!!」は好きなセリフランキングならぶっちぎりに1位です。アンツィオ戦を含めると、やはり磯辺キャプテンの「もう一度最初からだ!」も入ってくるくらいアヒルさんチームはいいセリフが多いです。

肯定的に描かれる「アヒルさんチームの根性」

 磯部キャプテンの言う「つまり根性」「あとは根性」ですが、あれはめちゃくちゃいい精神論の使い方をしている、と少年漫画などの根性描写にこだわりがある人間からすると思うわけです。


 劇場版では知波単学園の選手にお説教までしているように、彼女たちが行う「根性」は、タクティクス的にネガティブな扱いを受けていないのも重要でしょう。
 彼女たちは、突撃して自滅するだけの知波単とは対照的に、適切に精神論を使いこなしている。


 精神論と聞けば「理屈抜き」「無謀、無策」という意味で捉えられがちですが、どちらかというと「直観」と呼ぶのが相応しいものです。
 やった後から分析すれば説明できるかもしれないが、すぐには頭が追いつかない判断、というのが「直観」であって、適切なトレーニングを詰んだ人間にとってはだいたいこの直観が理性よりも正しい。
 しかし人は説明できないことを恐れる傾向があるため、「直観が正しい」場合であっても、精神的ブレーキ(実力のキャップ)を掛けてしまう性質がある。


 そのブレーキを外し、全力の行動をするために「根性」が必要になる。
 例えば、スポーツで「たぶん100点までいける」と確信している際に「でも理論上で確実に保証できるのは55点くらい……」という自信しか持てない時は、実際その55点付近の成績になってしまうものです。


 で、磯辺キャプテンは「よくわからなかったけどやればできることだ」とほぼ確信している時に「つまり根性」「あとは根性」とチームに指示している。
 これは知波単の精神論とは当然、非常に対照的で、つまり日本軍的な精神論とは、「負けそうなのは直観でわかってるけどそれを忘れる」ために掲げられるものだからです。


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 この差は、アンツィオ戦の「よっしゃあ佐々木! 最初からもう一度だ!」でも顕著でしょう。



 今までの砲撃が豆戦車に無効だったと判明した上で、「正しい方法でなら不可能ではない、と西住隊長は言っている」という状況でのセリフ。
 ふつうの人間であれば、「今までの苦労がムダだった」と思ってしまうと、もうなんか疲れた、やる気も湧かない……と実行に精神的ブレーキがかかるだろう、しんどい局面です。
 でも今はそんなこと(=今までの苦労)関係なくて、隊長から可能だと言われてるんだから、「最初からもう一度だ!」とイチからリセットして気合を入れ直すことが正しい――。



 ちなみに八九式でマウスの砲塔をブロックした作戦(TV版第12話)については、車内から手で押すこと自体に意味はないものの、作戦レベルで見た場合、やはり「無謀なことをやっているわけではない」局面です。
 そこで可能なできるかぎりのことを全体としては行いつつ、(操縦手以外はやることがないし)メンタルを保つために「根性のついで」で押してる感じでしょうか。


 そもそも磯部典子の言う「根性」はかなり包括的な概念で、「ちょっとだけ頭使って後は根性!」という名台詞もありますが、作戦やフォーメーションが好きなのもバレー部の特徴です。
 河嶋桃の立てた作戦を聞いたキャプテンは、嬉しそうにガッツポーズを取る(TV版第2話)。


  • 関係ないけどここは、全くの初心者車長だからこそ「作戦」という概念を初めて知って目を輝かせる澤ちゃんと、しっかりみほの顔を観察してる会長……などと見返すとすごく見所の豊富なシーン

 桃の立案の浅はかさには気付かないものの、スポーツ選手として「作戦を駆使して勝つ」ことは当然のスタンスであり、俄然やる気の湧く「戦い方」であることがキャプテンの表情からは窺えます。


 学園内での初練習では、歴女チームと秘密協定を結んで西住みほのチームを出し抜こうとするなど、敵の裏をかこうとする労を厭いません。ドラマCDでは「脳筋」の扱いを受けたりするものの、劇場版では「殺人レシーブ作戦」を積極的に提案し、知波単の戦車を率いて作戦指導をしてもいるのです。
 「天井からのナックルサーブでダブルブロックからの近距離スパイク!」


 だから「作戦」好きの磯部キャプテンにとって、おそらく策を思い付くことすらも「根性」に含まれている。
 つまりキャプテンは「頭を使っている、という自覚をせずとも思考を行う」人間であり、自分が策士のように考えているということを意識しない。
 全ての思考過程や行動を根性で済ますことができる。こうしたシンプルな思考パターンには、純粋に見習うべき点が多い気もします。……特に「思案しがち」な頭脳労働者にとっては。


 劇場版で言えば、「私たちにできることってなんだろう」と悩み、「考えつづけながら」できることを探していたウサギさんチームと、初めから「自分たちにできること」を実行しつづけたアヒルさんチーム……、という対比も存在していたかもしれません。

スポ根としてのガルパン

 「ガルパン」をスポ根ものとして観るならば、アヒルさんチームがテーマ的な主役ともなるはずで、あの蝶野正洋大使がアヒルさんチームの佐々木あけび好きだというのも、単に体育会系の好みというだけ*1で片付けず、つまりそこにもガルパンの面白さが詰まってるんだ、と解釈できる余地があるはず。



 監督の発言によると、ガルパンは「スポ根」を意識して描いていなかったそうですが、そういうコメントが出てくるというのは「スポーツにおける根性」をどう解釈するか? という問題でもあるのでしょう。
 その一方、(高校野球漫画の)『キャプテン』はドラマの参考にしていたそうで、『キャプテン』にしても充分に根性のドラマだと思うのですが、何を「スポ根」と呼ぶべきなのかは区別が難しいものです。

意外と性格分けのあるアヒルさんチーム

 キャプテン以下、4人いるメンバーの性格分けについても触れておきます。
 主に「根性」を言い出すのは磯部キャプテンで、バレー部復活に対しても最も純粋です。他の後輩3人は、割とバレー以外のことも話題にしたがります(劇場版の特典OVAでは、バレーにバレー以外を混ぜようとする3人に「バレーやろうよ」とキャプテンがツッコむ場面もある)。


 佐々木あけびは弱音も吐く泣き虫ですが、キャプテンの示した道にはよく従います。意味がなくても、キャプテンと一緒に砲塔を押すのがあけびです。


 近藤妙子はわりと常識人で、根性で砲塔を押すキャプテンとあけびにツッコみを入れる役。通信手という、全体の指揮に通じるポジションのためか、今後の戦車道について澤梓と相談したりもするらしい(という公式媒体の記事が存在する)。
 根性があるというよりは陽性の楽観論者で、逆境に挫けないタイプ、というイメージ。


 河西忍も冷静なところのある常識人で、操縦手として指導を受けていた冷泉麻子との上下関係を意識してるあたりが体育会系っぽいです。戦車を探す麻子を「まるで刑事みたい!」と感心したり(TV版第7話)、アプリゲーム「戦車道大作戦」に収録された「冷泉先輩仕込みのドライブテクニックを見せてあげる!」という後輩らしいセリフも印象的。
 近藤妙子とは逆にニヒルというか、逆境のプレッシャーを意識して自分を追い込むタイプに映ります。でも今はここが私たちにとっての東京体育館


 こうして見ると、チームとしての一体感はすごくあるのに全員が根性言ってるわけではないことにも気付けます。
 アヒルさんチームは「初見では各キャラの判別がつかない」という視聴者も多いと思うのですが、そんなチームでも性格分けが見付かるわけです。


 ただ、ひとつのチームに性格分けがちゃんとある、各キャラに個性がある、というよりも、ここが「ガルパン」のキャラの回し方で注目すべき点だとも思います。
 バレー部というひとつの人格をよっつに分裂させた結果のようなもので、意思とエネルギーを司るキャプテン、気弱な内面を象徴するあけび、楽観的な妙子、冷静だがモチベーションの熱い忍……というように、必要な機能を分配し、四人合わせて「アヒルさんチーム」が成立するようになっている。


 ぼくは物語を読む際、ユング心理学の影響が強い人間なので「『桃太郎』の桃太郎とお供はひとりの人格の機能をよっつに分けたもの」的な解釈をしたほうが納得しやすいタイプなのですが、ガルパンは近年、特にその解釈がマッチする物語になっているとも感じています。


 だからアヒルさんチームのセリフで一番泣けるのは、打ち合わせもなく正念場で声を合わせて言う「そ〜れそれそれー!」なんですね。
 「そーれ!」が定型句のバレーボールにそんな掛け声は本来ないはずで、つまり「複数人ぶんの掛け声をくっつけて一気に、全員で言っている」という、現実にはありえないセリフであって、ちょっとした脚本上のマジックが掛けられているシーンです。
 相談もしてないはずなのにその場の掛け声がぴったりシンクロすることで、心がひとつになっていることを演出している。


 出来事を理屈で説明できないような、リアリズムを超越した瞬間が「ガルパン」には度々発生することがあり、そこにこそ感動できるんだと思うんですね。


 ガルパンはミリタリものという性質もあって、合理的なタクティクスやキャラクター心理の解釈が優先して語られがちだと思うのですが、物語的には「気持ちが強い方に勝利が傾く」という演出になってるのも確かです。


 そうした、「SF寄りというよりファンタジー寄り」と言いますか、「空想としての物語」という視点から「ガルパン」を楽しむということについては、また改めて記事にしたい気持ちがあります。
 それは以前、児童文学やメルヒェンの角度からアニメを論じていたのと似たアプローチになるでしょう。

キャラクターデザインの効果

 余談ですが、キャラクターデザインの点においてもアヒルさんチームは独特なポジションにあります。

 例えば、脇役チームのなかでも、ネトゲチームは(メインキャラクターデザインの島田フミカネ氏ではなく)野上武志氏がまとめてデザインしたものです。
 全体的にシンプルなコンセプトで統一されたメインキャラクター(地味なイメージなのは狙った結果のよう)に対し、「色モノ」枠としてそれぞれ個性的にデザインされています。
 つまり、このチームに関しては各キャラがみな同等に「個人」化されている。


 一方でアヒルさんは、キャプテンのみフミカネデザインであり、後輩3人は野上デザインという分担になっており、シンプルなキャプテンを中心にしてまとめられている感があります。
 そしてキャプテンと他3人はデザイナーが異なるため、あんこうチームやウサギさんチームのように「(地味なりに)同列の個性が並んでいる」という感覚は薄く、キャプテンあっての後輩3人、後輩3人あってのキャプテン……というように、結果的に各キャラが個人として独立しない、4人でひとつの一体感に結びつくのではないかなと。


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*1:と、本人の奥さんが金髪