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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

ギャルゲーから移行する、ヒロインへの感情移入の仕方の推移

 『電撃G'sマガジン』などを眺めていて思うこと。

 やはり、「ギャルゲーの気持ち悪さ、居心地の悪さ」というのは確実にあって、生粋のギャルゲーマーではないぼくは、それを避ける傾向にあります。
 ギャルゲーのヒロインが萌えに特化されたキャラクターである以上、そのパーソナリティ造形には「男性に対して無防備であること」や「主人公に惚れっぽいこと」「無条件に優しい or 男性のエゴに無頓着であること」「女性的コミュニティよりも主人公の行動を優先できること」などが求められるのだけど、そんな女性が何人も居て、しかも彼女たちと固有の接点を持てるのは主人公のみ……、という時点で強い不自然さを感じてしまうわけです。言ってみれば、『ドラえもん』のしずかちゃん=「女友達が少なく、何故か男子とばかり遊ぶ女子」が複数存在する世界が、ギャルゲーの標準的な世界と言えるでしょう。

 確かにギャルゲーのヒロイン達は可愛い。でもそれは「ギャルゲー」という世界率に縛られてユーザーに向けられる可愛さであって、ぼくは彼女たちに不自由な影を見て、罪悪感を覚えてしまう。
 大抵のギャルゲーマーからすれば「そのレベルで罪悪感を感じるなんて、お前は二次元に入り切っていないのだ」と言われそうな問題なのだけど、「気持ち悪さ」を感じることなくヒロインの可愛らしさに感情移入したい、と願う人も多いことでしょう。

 そういう人達の需要に、どんな作品がどのように応えてきたのかを見ていこうと思います。

 意外かもしれませんが、まずはシスプリです。
 妹萌えは「しずかちゃん的なヒロインの不自然さ」を解決します。兄妹が同じコミュニティを共有することに対する違和感は皆無。まぁ、同じことはメイドさん萌えにも言えることですが。
 また、妹は「主人公を無条件に好きになってくれる都合のいいヒロイン」である以上に、ユーザー側が「兄として無条件に愛せることにこそ違和感が無かった」ことを見逃してはならない、と思います。

 次に「無条件に好かれる主人公の不自然さ」を、剛腕で解決したのが相田裕でした。彼自身は「『レオン』と大槍葦人にヤられてロリコンになってしまった」因業深い作家でありながら、度々「ギャルゲー的な萌え」に対する批判を隠さない人でもあります。
 萌えを否定しつつ、ロリ漫画を描きたいというジレンマを解決するために彼が取った決断は、「最初から洗脳されてることにしてしまえ」でした。
 これは非の打ち所のないリアリティのある設定で、結果的に多くの理解者を得たようです。いや、凄い悪趣味な設定なんですけどね。読者はヒロインに対する罪悪感を消去しきれませんし。

 更にマリみてになってくると、ヒロイン達の「可愛らしさ」や「優しさ」は男性ではなく同じ女性に注がれる。ここにきて初めて、全ての「気持ち悪さや居心地の悪さ」を払拭した上でヒロインに感情移入することが可能になった。
 マリみてに男性オタクが群がった理由のひとつに、ギャルゲーの不自然さに対する反証が存在していたから、と言うこともできるんじゃないでしょうか。
 あと、(特に統計的なデータは用意できませんが)シスプリガンスリマリみてのファンが重なりがちなことの説明にもなると思いますが、どうでしょう。彼らは「萌え」の中に「モラル」を持ち込みたがる傾向で共通している、とぼくは感じるんですが。