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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

「小説は漫画と違って文字だけで想像させるから偉い」に別の言い方はないのか

 小説は漫画などと比べたとき、「文字だけで想像させるので想像しなくてもよい漫画よりも優れている」「想像力を鍛えられるから優れている」と言われることがよくあります。
 年配の「漫画を読まない」人に多い意見でしょうか。


 すると「読者に想像させる力」というキーワードに対して、漫画家の島本和彦先生がこんな反論も返します。「想像力」で優劣を競ってもあまり意味はないと言えるでしょう。



 文章には視覚情報がない。ゆえに視覚を補う想像力を要する、というのが直観的に思いつく「小説の優れた点」なのでしょう。でもそれは、実は逆なのではないかと。
 「あらゆる想像を文字だけで考えさせるので言葉の能力が鍛えられるから優れている」とみなした方が、小説の魅力の実態をよく表せるんじゃないでしょうか。


 実際、漫画や、(ライトノベルも含めていいですが)ビジュアル付きのメディアに触れた後に比べて、「文字だけの小説」を読み耽った後は「文字ベースの思考が頭の中でスムーズになる」状態を感じることがあります。
 もちろん読みながらビジュアルの想像もするのですが、それよりも、純粋な「文字だけの思考に耽っている」時間の方が濃くて長いのでしょう。


 つまり小説と漫画の比較論は、「漫画には絵があるが小説にはない」という不足によって生まれる「ないものねだり」から考えはじめる時点で歪みが生じています。
 絵は存在しないが、「存在しない絵を想像させるから偉い」というのは「ビジュアル(=視覚的情報)は文字よりも偉い」という、ないものねだりの理論武装です。


 「存在しないもの」を想像させるのが偉い、というならそれは漫画でも同じことで、漫画も「描いていないものを想像させた方が偉い」と言い切っていいのですが、それは別に「ビジュアルの想像」じゃなくてもいいわけです。人間は、目に見えないものや形のないものも想像する生き物なのですから。
(一応補足ですが、もちろん「小説の方が偉い派」の言う「想像」っていうのはビジュアルにかぎらず、観念的な思考や言葉による想像のことを暗に含めて言ってるのだろうとは理解できます。)


 だから、「ビジュアルを想像する素晴らしさ」よりも「ビジュアルなど想像せずに言葉だけで考えることの素晴らしさ」に意を向けるべきかもしれません。


 「ビジュアルを想像させることが優れている」という理屈のままだと、ともすれば、「アニメ/漫画/映画的なイメージを喚起させるための書き方」に特化したタイプの娯楽アクション小説やライトノベルの手法こそが、実は「小説は偉い派」が掲げる理屈に適っている、という話になってしまうのですから。
(無論、どちらが小説として優れているかは別として、「映画のようにイメージさせるための手法」が「小説的」かというと、あまりそうは呼びにくいのではないかと個人的には思っています。)