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『劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』ネタバレ気にしない感想

 というタイトルにしつつさほどネタバレしませんが。

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」公式サイト

 まどマギ劇場版すっげー良かった! というのが一番最初の感想でした。
 テレビ版は絶対に続編が必要な、不完全な話だと思い続けてましたから、続編をねだっていたのは正解でした。
 これでアニメとしては満足できたので、本当に良かった。


 ひとつひとつ言えば、人間がキュウべえのシステムを超えたことをやって「人間」に対してびびらせる、それを理屈ではなく人間の「気持ち」だけで作り出す、誰かがしっかりとあの(まどかが一人で勝手に出した)結末を拒んでなきゃいけない、のスリーポイントで個人的な期待はクリアしています。その上で、予想を上回る映像でもあった。
 「本編でやり残したことがあったから続編が生まれて、それで怪我の功名的に更にまとめ上げることができた」シリーズというのも過去に様々ありますが、まどかマギカもその一つに挙げられるはずです。


「SFアニメとしての楽しみ方」は上掲のまとめ(SFフリークの音楽家・吉田隆一さんの対話)で広げていますが、そこでも書いているように「SFだったテレビ版に対して、SFとメルヘンファンタジーを両立させた」映像としてぼくは高く評価しています。


 ファンタジーとして「叛逆の物語」を読む場合、リンドグレーン『はるかな国の兄弟』と、それを解説した河合隼雄『ファンタジーを読む』などが良い手引になるかもしれません。
 ファンタジーの中で「死」や「世界の終わり」がどう前向きに描かれるのかが良くわかると思います。


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  • 河合隼雄のファンタジー論(もしくは少女文学論)としては『子どもの本を読む』という本も併せて読むことをお勧めしますが


 今はエンディングテーマであるKalafinaの「君の銀の庭」をしげく聴き込んでいます。


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 ところで、これを海外リリースする際に「悪魔」をDevilと訳すのかSatanと訳すのかが気にかかりますね。
 というか「神とサタン! 小池一夫のキャラクター塾だ! 本人に会っただけのことはある!」と激しく思ったのはぼくだけでしょうか。
 鑑賞後(?)の小池先生が「また虚淵さンと会って話を聞きたい」と言っていたのも「キャラクター塾」からすると頷ける話ですね。

僕は、いつも最初の授業で「世界最大のキャラクターはイエス・キリストである」「永遠の二番手キャラクターは悪魔である」と教えています。悪魔は、強大な力を持ちながらも、キリストには勝てません。
悪魔が強ければ強いほど、それをものともしないキリストの威光は増し、その力は引き立ちます。


正しい主人公と、それを邪魔する、悪の存在の物語です。

クリエイターズ・ノート | CLIP


 神と悪魔といえば、結末から真っ先に連想したのが『セイントデビル -聖魔伝-』という伝奇漫画でした。
 あまり知られていない作品だと思いますが、初期の石川賢の原作付き作品で、原作は辻真先
 そういえば辻先生もまどかマギカが好きで、こういう連想の繋がりは楽しいですね。


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『魔獣戦線』を経た石川賢が原作者を得て、自ら「ストーリーマンガの描き方を知った」という愛と憎悪の物語。絵柄、描写、スピー ド感ともに、石川賢最初の頂点がここにあるっ!


〔中略〕


ユンクとテレサは永遠の戦いを続ける神と悪魔の両頂点、天使ガブリエルと悪魔リリスの愛の結晶であった。では憎悪の方はと言えば、神と魔たちの戦 いであり、人間同士の滅亡に向けたバカ騒ぎである。こと視点を人間に限って言うなら、ストーリーの中で黙示録的な形で終末を迎え、人間の生きる次元そのものが消え失せてしまう。ここまではデビルマンと同じだ。


〔中略〕


一方聖魔伝は、そこで終わらなかった。神と悪魔に分かれて、闘う二人。それは 「ぜったいれいど」の物語の中で逃れられない宿命だ。そこには福音も破滅からの救いもない。人間はルシフェルの仕掛けであっさりと絶滅するし、そのルシフェルすらガブリエルとリリスの戦闘に巻き込まれて死を迎える。そこには意味など拒否するかのような血まみれの闘いがあるのみだ。描かれるべきは破滅なのか?


否、である。「業」として互いを憎むのも生きることなら、また「愛」も然り。 それは互いに存在するだけなのだ。一見非常に難解な形で描かれてはいるが、この物語は最後には読者とともに過ごした時間をも相対化してしまう。ラストを迎えた段階で、ガブリエルとリリス、ユンクとテレサが愛に生きるために 「どこかへ」向かうところで終わるのだ。それは時空をも超越した、純粋な愛の世界である。が、それは闘いの終結を意味するものではない。別の時空間では相変わらずガブリエルらもユンクらも、人間達も神も悪魔も血を流し続けている。己のエゴをむき出しにして。


あらゆる時空間にある愛と憎悪の形。それら全体が『聖魔伝』という物語すなわち「ぜったいれいど」である。それらに必要以上に隠された意味はない。善 も悪も愛も憎悪も何もかも融け合った混沌があるのみだ。

ハンマーでぶちわってやるーっ!