HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

イチローの成長力と恒常性

 今日はテレビで、イチローを取り上げた番組を2回見る機会があったので、イチローについて考えてみる。
 イチローは「もし漫画に出てくるような化け物アスリートが現実にいたら、こういうのだろうな」という人物像をそのまま備えた選手で、ドキュメントを見るたびに鳥肌が立つような思いをする。
 逆に、イチローのように「物語じみた選手」が現実にいるからこそ、フィクションに登場する天才たちもウソをついているわけではない、ということがわかるのだが。

4P田中くん 1 (少年チャンピオン・コミックス)4P田中くん 1 (少年チャンピオン・コミックス)
川 三番地

秋田書店 1986-12
売り上げランキング : 1414614

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

  • ここらへんの「フィクションにおけるウソの無さ」については、七三太觔と川三番地の野球漫画を読んでいる人には理解しやすいように思える


 その非凡さのひとつして挙げられるのは、成長スピードの速さと、状況への対応力だ。
 フィクション上の天才キャラでも、その化け物性を象徴するのが「自分を変化させてしまうことへの恐れの無さ」だったりするが、イチローはこれを自然に、しかも超人的に素早く行うことができる。
 アスリートにとって自分のスタイルを崩すというのは難しい上に、なにより怖いくらいの抵抗感を伴うはずだが、イチローのようになると、そんな恐怖などはじめから無いかのように微調整をくり返し、あっという間に自己を刷新してしまう。こういう人間は、ある意味で「自分を捨てている人間」であって、通常人のかなう相手ではない。


 しかしそんな風に「変化を恐れないイチロー」「進化しつづけるイチロー」という側面に注目していると、逆の部分も見えてくる。
 ときに精密機械にも喩えられるほど、何年も同じように起きて同じカレーを食べて、寸分たがわない仕草でバッターボックスに入るということをずっとくり返している、という事実だ。
 これは清原も「成績が良い時でも悪い時でも、そんなことを続けていられる選手はたぶんイチローしかいない」と感心していて、「普通は調子が悪くなったら、生活パターンや服を変えようとしてしまうはずだ」と言っていた。


 これは、自己の恒常性をどこに認識するか、という違いでもあるように思う。
 普通の選手は、「成績がいいときの自分」を己の「恒常体」だと思いこもうとし、それを維持しようと努力する。調子が悪くなればそれは恒常性が保てなくなったということだから、生活パターンを変えたり、発想を根本から変えたりしてでも「元に戻ろう」とする。
 「自分が自分でなくなる」のを極度に恐れるのが、人間の自然な感情であり、それが恒常性(ホメオスタシス)の役割だからだ。


 イチローは違う。はじめから「バッティングに答えは無い」と言い切り、成績が良かろうと悪かろうと、それは変動体にすぎないと考える。
 だから冷静に自分のプレイスタイルに微調整を加えていくことが可能なのだろうが、その冷静さと「恐怖心の無さ」を生んでいるのは、しっかりとした恒常体を別の場所に持っているためだと思う。
 例えば、髪の毛や爪を切ったり、排便・排尿をしても心が痛まないのは、それらは「自分自身ではない」と認識できているからだ。*1
 しかし人間の恒常性は、髪型や爪の形はおろか、身なり、住居、思考までにも及ぶことがあり、もしそれらを「恒常体」の中にくるんでしまうと、変化させることが苦痛になり、容易に捨てることも変えることもできなくなる。


 だからイチローにとっては大事なのは、「いくらでも変化させられることのできる自分」の対極にある「絶対に変わらない生活」であって、後者の強固さに支えられてこそ、イチローの非凡な成長スピードが生み出されているのだと思う。
 物語に登場する「成長する天才」たちを思い出してみればいい。彼らにも共通するのは、異常なほど「抵抗無く変えていくことのできる自分の範囲」が人並み外れて大きく、逆に「恒常性のある範囲」が極度に小さくて強靱だということだ。*2
 そういう「恒常性の範囲」に異常な偏りを見せる人間というのは、現実にもいる。イチローのように。


 対して、普通人にとっての「恒常性」はイチローほど絶対的なものではなく、だから毎日、「なんとなく感じる、今の自分がそのまま恒常体なのだろう」という程度の、ぼんやりとした自己イメージを確かめなおしながら生きている。
 これでは、「今の自分」を明日や明後日にすぐ変えることなどできない。心理的な恒常性は「今の自分を捨てよう」とはしないのだから。
 だから「地道な努力」が通用しなくなって限界が見えた時、他力本願や偶然の閃きなどにすがって「根本的な解決」を図ろうと躍起になるのが普通の人間なのだが……、それではイチローのような天才には、まずスピードで追いつくことができないのだ。

無意識の脳 自己意識の脳無意識の脳 自己意識の脳

講談社 2003-06-20
売り上げランキング : 18114

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ

ダイヤモンド社 2005-10-28
売り上げランキング : 72489

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

*1:乳幼児はこの点がまだ未分化で、自分の排泄物にも強い興味を示す

*2:フィクション的に極端なケースを挙げれば、「守るべきものさえ守れれば自分はどうなってもかまわない、死んでもいい」という、完全に自分を捨てたキャラクターになっていく