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「ついていけない天才」を際立たせる主観表現/小山ゆう『スプリンター』

 先日、資料確認も兼ねて『スプリンター』を読み返したのですが、「ヒーローの魅力を描ききるのが少年漫画」という、ぼくがよく使う決まり文句に従えば、才能の魅力、立場による魅力、人間的魅力、性的魅力もろもろをトップクラスに設定していた『スプリンター』は少年漫画としてのエッジでしょう。


 少年漫画という枠にかぎらず、小山ゆうの作品は「漫画で天才を描こうとしたらどうなるのか」という点に関して「本物」、マジモンの天才性を感じることができるので、他の天才ものについて語るときの基準を作ることができますね。


 『スプリンター』の再読で感じたことのひとつは、「人間を超えそうなほど異常な人間」を描くのに必要な演出です。
 それは「ついていけないほどの異常さ」を客観的に描くだけではなく、主観表現も上手に使うのが大事だということ。


 そもそも漫画は非現実を描くものですから、かなり異常な感覚世界が描かれていても「同化」のシンパシーは得られます。
 遠く離れた人の心臓の音が聴こえるとか、走ると光が見えるとか、ぬめるような空気摩擦を肌で感じるとか、コンディションを高めると筋肉が震え出すとか。
 どれも感覚としては、「絵にして見せてもらえれば」読者も想像でシミュレーション(追体験)のできる感覚でしょう。


 その上で、「シンパシーは得られるが、自分が実際に感じるのは無理だろう」という距離も同時に感じるように『スプリンター』は描かれています。


 描き方としては、「これは凡人には感じられない異常な感覚なので、客観的にしか描きません」「主観を共有できないのが天才なんです」などと、読者を突き放すようなことはしていません。
 むしろ主観的な表現がとても多いのに……、作中の天才たちの「異常性」がものすごく伝わってくる描き方をしています。


 例えば「すごいスピードで走れば空気摩擦で風がぬめって感じる」という主観描写は「想像すればその感覚はトレースできるけど、普通はそうはならねーよ」と思うだろう描写です。
 この「描写を見てトレースだけならできること」と、「普通はそうならねーよ」の落差を表現するのが、天才描写の勘所だと思われます。


 こうした主観表現を繰り返しながら、「異常な感覚を持った本人」と「その感覚を想像できない周囲の凡人」の視点を描き分けていくと、天才に対する距離感をより広く感じさせられるでしょう。


 それに小山ゆうのネームは「内語フキダシ」の中に「……」を入れる演出がすごく多い、という特徴があります。

天才漫画家「小山ゆう」:ちたま研究所:So-netブログ


 これって考えてみれば妙な演出で、内語というのは「読者だけが読めるモノローグ」のはずでしょう。
 それなのに、「何を考えてるのかは読者に読み取れない」という演出になっている(思考を読ませたくなければ、そもそも内語フキダシを使う意味がないのに「……」だけは読める)。


 こうされると、ただ黙ってるよりも「何を考えてるのかわからない感」が強くなるんですね。
 「ただ黙っている」という客観描写ではなく、「内語を読むことができる(だが何もわからない)」という主観描写によってむしろ「このキャラクターは自分とは違う、別人だ」と実感させることもできる、というわけです。


 まとめ。
 というわけで「自己投影できない、感情移入させない異常な天才キャラ」というのは客観的に外面のみ見せるという手法だけでなく……、「トレースだけならできるが異常さも伝わる主観表現」や、「心理描写のようで実は心理を説明していない」といった内面の描写も使いこなすことが有効なのだ、と小山ゆうの漫画から理解できます。


 というわけで個人的なランキングではベスト10に入る名作なので、ぜひ読んでください、『スプリンター』。


スプリンター(1): 1 (少年サンデーコミックス)スプリンター(1): 1 (少年サンデーコミックス)
小山ゆう

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