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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

「平凡への強制」という教育理念と、少年漫画に課せられた使命

 今日、ネットで色々な検索をしていた時にひっかかったページ。
 リンク先は、ヤフー知恵袋の質問ですが(強調は筆者)。

女は愚かな大衆か? - チャールズ皇太子が皇太子事務所の女性職... - Yahoo!知恵袋

チャールズ皇太子が皇太子事務所の女性職員の不当解雇裁判に関し、
「多くの人が実際の能力以上のことができると思い違いしているようだ。これは、誰でもポップスター、高裁判事、有能なテレビ司会者になれるかのように教師が教え、その結果夢を持っていれば必ず実現するというような勘違いをする、つけあがった馬鹿なガキが増えてきたからだ」
というようなメモを書いたとして問題になったことがありましたよね。

(中略)

民俗学者だった故・柳田国男も故・宮本常一近代教育の本質とは「平凡への強制」だと言っています。
夢や理想ばかり遠くに見て地に足をつけず、果ては自分の夢と異なった現実に向き合うことを拒否して、やたら攻撃的になったり、引きこもりになったり(あるいは両方になったり)する者が増えているのは、“夢は必ずかなうもの”と教えこまれているためだと、チャールズ殿下でなくても思って当然でしょう。
安直に若者に夢を与えるということは、それを見事に叶える一人の人間と、挫折し失望する九九人の馬鹿な人間を製造することになるということを大人は子供にしっかり教えるべきだと思います。


 文脈の正確なところが気になったので、「平凡への強制」でさらに検索してみる。

http://maturiyaitto.diarynote.jp/200702242310320000/

いい意味で教育に熱心で、今小学校の教頭をやってる親父がいるんですが、以前教育について交わし合ったことがあります。世間知らずのダメ教師・ワガママなダメ親の問題から個性についての話になって、中途、珍しいことに意見が一致しました。
即ち、「叩き潰されるような個性は叩き潰すのが教育の礼儀」。そして本当に「個性」のある人間を叩き潰せるほど、教育というものは万能ではない、とも。

(中略)

今回、興味があって少し調べてみたら、発言者がどうやら柳田國男と判明、続きも似たような内容でちょっと驚きました。
「教育とは平凡への強制である」。そして「非凡な人は教育受けたくらいで平凡にはならない」と。呉智英が以前紹介していて話題になったこともある模様です。ただ残念ながら、出典は確認できませんでした。

教育の強制とは?:放浪するあすなろうの回想記:So-netブログ

個性とは何か。


個性とは、平凡を強制されても抑えられない感性が個性だ。


そう私は考える。
であるから、平凡を強制する教育でいいんだ。

『教育とは平凡への強制である』 ( 習いごと ) - コニヤンの公式ブログ『今日も笑顔でボチボチです!』 - Yahoo!ブログ

後で調べると、「教育とは平凡への強制」という言葉は、民俗学者柳田國男だったのだ。
たまげた。こりゃあすごいことを学んだ。
同じく民俗学者宮本常一さんは、その言葉の後に「非凡な人は教育を受けたくらいで平凡にはならない」と補足している。

(中略)

考えてみれば、私たちの日常というのは、平凡きわまりない日々の繰り返しよね。そしてこれから君が3年生になって学校に復帰し、高校にもあがっても大学に行ってもやはりそのくりかえしやと思う。そういう意味では、まさに『教育というのは、平凡への強制』と思う。


 こういう考え方が近代教育のベーシックだとしたら、今週の『めだかボックス』の理事長の発言(「一人で生きていける天才の大量生産こそが教育者の悲願だ」みたいな)って、教育関係の人が読むとまた思うところがあるのでしょうね。


 しかしめだかボックスはさらに少年漫画なことになっていて、要するに「子供に夢を与える少年漫画」っていうのは、夢を見させるのと同時に「ヒーローになれない人生を送る凡人たちへの癒し」にもならなきゃいけない物語なんですよね。
 このふたつが両立してはじめて、少年漫画*1は子供から大人まで読み続けられるようになる。


 つまり、少年漫画の裏テーマは「平凡な人生に耐えろ」なんだ。これは藤田和日郎の「瞬撃の虚空」なんかを読めば良く伝わってくることだと思います。

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 そういう意味で、めだかちゃんは周囲の人間達に「(ヒーローには憧れるけど)俺たちは凡人でいいんだ、天才ではない生き方もあるんだ」と思わせられるようなタイプの天才でなければいけなくて、実際、そういう人間として彼女は描かれている。
 一般人として生きていかなければならない人間たちに対して、コンプレックスを与えることなく、「自力で叶う夢」を追わせるように支える――願いは叶えないが悩みは解決する――のがめだかちゃんの使命なんですよね。

関連:身辺雑感/脳をとろ火で煮詰める日記: 『めだかボックス』概観;めだかの支持率98%設定と天命説

 リンク先は孟子君主論と絡めた『めだかボックス』の話ですが、コメント欄のこのコメントが良い。

原作者がデビュー作から多くの著作の中で、いろんなタイプの天才を出しているので、天才慣れ、というか天才の出し慣れをしている気がします。
だからこそ生まれたのが、欠点がないゆえに、愚民どもに嫉妬されてしまうという天才特有の欠点すら、克服した超・天才がめだかちゃんなのです!
とか言ってみます。


Posted by: 名無しさん: 2009年10月20日 18:23

  • そういえば、めだかボックスには性善説が出てくる」→「性善説といえば孟子儒教思想」→「めだかボックスのテーマは儒学が前提」ってすぐに結びつけて考えている人ってどのくらいの割合なんでしょう。あまりそういう読み方がされてるっていう話も聞かないので
  • 風紀委員が生徒会に絡むようになってからは、モロに儒教の覇道/王道論
  • そもそも、儒学が引き出しにある人がかぎられてくるのかもしれませんが、子供の読者ならともかく、日本人にとっては基本ですよね?

*1:キッズアニメでも、特撮ヒーローものでもいいですが