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脳の中にファントムが、身体の中にニューロンマップが

 昨日の日記で、「原理的にはラマチャンドランとダマシオの脳神経科学の仮説で説明できる」とした↓の実験結果ですが、シロウトなりにその理論をちょっと説明してみたいと思います。

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 ラマチャンドランとダマシオの理論を結びつけて語ったものはあまり見かけたことが無いのですが、個人的には、ふたつ合わせた方がぐっと脳科学の見通しがつきやすくなると考えています(専門的な意味ではなく、一般人が「人間の脳ってそういう風にできてるんだな」と思えればそれでいい、というくらいの意味ですが)。
 なので専門的には間違った解釈もしているかもしれませんが、「いずみのの身体感覚では、このように認識すれば腑に落ちる」程度の解釈だと思ってください。
 あと、もともと本に書かれていた科学的な問題をむりやり短く説明しているだけなので、冗長だったり読みにくかったりするのはご了承ください。

ファントム

 ラマチャンドランの言う「幽霊(ファントム)」というのは割とポピュラーな概念で、人間は「脳」が直接「身体」を認識して操っているわけではなく、身体と同じ形をした「幽霊のようなもの」を脳の中で仮想的に作り出し、実際の身体に重ね合わせている、と考えるものです。この「幽霊のようなもの=ファントム」はニューロン・マップ、身体マップなどとも呼ばれます。


 この「ファントム」の存在を実験でどう確かめるかというと、事故などで後天的に身体を欠損した患者に協力してもらい、「物理的には欠けている部分」を「脳は欠けていると認識していないらしい」ことのデータを取っていきます。
 漫画などでも良く出てきて有名な、失ったはずの腕などがまだあるように感じるという「幻肢」「幻視痛(ファントム・ペイン)」はまさに、肉体の状態とは異なるファントムの状態を脳は認識していることを証明してくれています。


 また、ファントムの形状は、人が赤ん坊として生まれてから後天的に形成されていくもので、成人するまでに一度形成されたものは、後から形を変えるのが難しいらしい、という要素も重要です。


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  • 脳神経に「後天的な経験によって形を確定させていく可塑性」がある、という話はこっちの本が参考になる


 『テレプシコーラ』の1巻に「12歳を過ぎたら、その人にとっての自然な姿勢は決まってしまって直せなくなる」というようなバレエ教師の言葉が出てきますが、この「自然な(=基準となる、デフォルトの)」姿勢というのも、ファントムの形状が決まることで確定してしまうわけです。狼少女のように、四つんばいで育った子供は、「四つんばいのファントム」を身体マップとして持つようになり、それ以外の姿勢は「無理な姿勢」として認識するようになります。
 例えば硬いゴム製の人形は、無理やり力を加えてポーズを変えることはできますが、手を離せば元のポーズに戻ろうとするようなものですね。


 ゴムなら「熱湯に漬けてから形を変えればその形で固まる」という性質がありますが、人間のファントムはそう簡単に形が変わらないようです。身体欠損による幻肢痛は、だから「実際の身体の状態」とは関係無く、固定された「身体マップの形」を覚えつづけているのでしょう。
 ただし幻肢痛も、リハビリを続けていれば治まることがあるようで、(12歳を過ぎてから学ぶバレエの姿勢のように)ある程度は時間が解決してくれる問題なのかもしれません。思えば、人間には「老衰」という身体の変化がやがて訪れるものですが、「若い頃のままのファントム」を持ち続けていると苦労することになるでしょう。ファントムとは、「身体の状態とは関係無くその形を維持しつづける」のと同時に、「身体の状態に影響を受けて形を変えていく」もののようで、どういう要素が「後天的にファントムの形を変える」フィードバックの刺激となりうるのかには興味があります(←これ、バレエのようなアートだけでなく、武術やスポーツ、自己啓発や、宗教的な「悟り」の境地にも関係してくる問題だと思ってます)。


 ちなみに、身体マップは後天的に形成されるものなので、例えばサリドマイド症患者のように「生まれた時から腕が無かった」というような人の場合は、そもそも「腕の無い身体マップ」が作られるため、幻肢痛は起こらないと考えられています。


 人間の脳は、実際の肉体の状態や姿勢よりも「脳内のファントムの姿勢や形状」を優先的に認識しているため、色んな方法で「脳をだます」ことができます。

 脳は五感(主に視覚)を用いて「今自分の身体はどんな状態か」を時々確認しているだけで、その確認作業で間違った情報(ただしファントムの状態とは矛盾しない情報)を与えてやると、あたかもその「実際とは異なる身体状態」を自分のものだと思い込むようになります。
 今回のスウェーデンの実験も、この「ファントムの状態と矛盾しなければ間違った情報でも違和感無く認識できる」という誤認の原理に基づいていると考えられます。
 それは逆に言えば、ファントムの状態を裏切るような情報を与えられた時に、人間は自己の存在に違和感を覚えるということでしょう。

ホメオダイナミクス

 次に、なぜ人間にファントムというものが必要で、しかも身体マップの形を固定しなければならないかというと、恒常性(ホメオスタシス)のある自己保存のためなんですね。
 仮に、腕を怪我するたびに「この怪我した状態が正常なんだ」と脳が認識してニューロン・マップを即座に上書きしてしまうと、その腕を治そうという気にもならないでしょうし、治したとしても「怪我する前の自然な運動」を身体が忘れてしまうかもしれません。


 この「身体マップの恒常性」が生命の自己保存に役立っている、とアントニオ・R・ダマシオは考えます。
 ダマシオがその本の中で「幽霊(ファントム)」という比喩表現を使うことは無いのですが、彼の考える「身体マップ」がラマチャンドランの言う「ファントム」とおそらく同一のものであるというのは、ほぼ間違い無いでしょう。


 また、更に「身体マップの形に戻ろうとする性質」をホメオスタシスという静止したニュアンス(「ホメオ」が「恒常」という意味で「スタシス」が「静的」という意味)の言葉ではなく、ホメオダイナミクスという動的なイメージのある言葉で呼んでいます。例えば、「おなかが空く→おなかを満たそうとする」という運動や、「太る→痩せたい」という違和感や、「眠る→目を覚ます」という生活パターンも、このホメオダイナミクスのおかげで機能しているものだと言えます。


 人によっては「理想の身体イメージ」というのがあって、それに実際の肉体が「一致しない」ことを残念に思うこともありますが、これは「デフォルトとするべき身体マップ」を脳が実際とは別の形で保存しているからかもしれません。
 子供は小柄で体重も軽いために動きやすいのですが、その状態でファントムを記憶してから運動不足のまま大人になった人は、「不釣り合いに重くて大きな身体」に戸惑いつづけるかもしれません。成長期から成長が止まるまでの間に「ファントムと実際の肉体を一致させる努力」を怠った人はそういう苦労をしかねないわけですね。だから太極拳やヨガ、舞踊などの芸道は、そんな「ファントムと肉体の不一致」を解消するために伝えられているものだとも考えられます。


 そしてダマシオは「仮想身体ループ」(「the as-if-body-loop」、「あたかも身体ループ」とも訳される)という仮説を用いて、人間の「思考」と「肉体」の関係を解き明かそうとします。
 ダマシオの考える身体マップ、つまりファントムは完全に静的なものではなく、ある程度の基準(デフォルト値)を持ちながら変動するものだと考えています。その変動はホメオダイナミクスによって元に戻ろうとするのですが、ずっと同じ形をしているのではなく、呼吸によって伸縮を繰り返す胸郭のように、絶えず波のあるイメージです。
 その変動は、肉体的な刺激(怪我したり、眠ったり、満腹したり、窮屈な姿勢を長時間強要されたり)が理由で起こることもあれば、精神的な刺激が理由で起こることもあります。
 例えば、怖くて萎縮した時に「自分が縮んだように感じる」というケースや、気分がいい時に「自分が膨らんで軽くなったように感じる」というケースは身に覚えがあるでしょう。


 脳は、ファントムの状態を保存するために「もっと猫背になれ」「ガニ股で歩け」などの命令を身体に送りますが、その命令は時々によって異なる場合があります。例えば「自宅でリラックスして満腹している時」と「おなかが減っていて寒くて眠くて疲れているのに猛獣に襲われている時」とでは、ファントムは異なったパターンの形状を取ります。
 そして、実際の姿勢を変えた結果として肉体的な刺激(動悸が激しくなる、苦痛が増すなど)が生まれ、再びファントムにフィードバックしていく循環を「身体ループ」と呼び、特に精神的な刺激(つらい記憶を思い出すとか、猛獣に追いかけられるイメージトレーニングで自己暗示をかけるとか)から始まるループを「仮想身体ループ」と呼びます。


 精神的に緊張した人が身体をこわばらせて、やがて肩こりが慢性化し、その苦痛によって「精神的なイライラ」と「緊張した姿勢」がクセになるという悪循環は、この仮想身体ループを繰り返した結果だと言えます。


 精神的なイメージによってファントムが変化する契機は、様々なケースがありうると思います。ぼくの持論では、「何かを見てそれについて考える」だけでも、ファントムは影響を受けると考えています。

宮崎清孝・上野直樹『認知科学選書 1.視点』p130〜

佐伯胖の視点論

 ここでこれらの問題を,佐伯(1978)の視点論を手がかりにしながら考えていくことにしよう.
 佐伯によれば,視点を設定するとは自己の分身としての“小びと”を生み出し,対象に派遣してみることである.派遣された“小びと”がそこで様々に動いてみることをとおして,人間は世界を理解していく.“無限に多用な小びとを生み出し,彼らにモノゴトのスミズミまでかけめぐらせることができたとき,「わたし」はそのモノゴトを「理解した」と実感できる”(佐伯,1978,p.18)

(中略)

 また“小びと”は人に“なって”みることもできる.私たちが盗難事件を理解しようとするとき,私たちの派遣する“小びと”は,泥棒に“なろう”としたり,逆に被害者に“なろう”としたりしてみる.その活動をとおして,私たちは事件をより深く理解していく.
 さらに“小びと”はものに“なる”ことすらある.ある機械の構造を理解しようとするとき,私たちの派遣する“小びと”はその機械に“なって”みる.そこで“小びと”は自らをいろいろ動かしてみる.その結果,私たちはその機械の中の力の伝わり方やメカニズムを実感的につかんでいく.


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 これは「ミラーニューロン」という言葉も無かった頃における認知学のテキストですが、かなり腑に落ちる形で認識のシステムを言い表していると思います。
 ここで言われる「小びと」というのがファントムと無関係ではなく、「小びとの派遣」が仮想身体ループの契機となるであろうことは、疑いようもないでしょう。

メディアとファントム

 「仮想身体ループ」という概念は、メディアと人の関係を考える上で重要なポイントです。
 映画や漫画に感動した観客は、「主人公になりきったつもり」で劇場の外に出たり、本を閉じることがしばしばです。これは精神的にイメージしたこと(=小びとの派遣)やミラーニューロンが、ファントムを一時的に変化させた結果だと考えられるわけですね。


 メディアは日々、スウェーデンの実験とあまり大差の無い経験を人々に与えています。人々がメディアから受けるファントムへの影響は、人間の形をした俳優だけとはかぎりませんね。絵画的なキャラクターであることもあれば、動物やロボットでもありえます。
 老若男女はもちろんのこと、幽霊にも妖怪にも人間はなることができます。「小びと」を派遣し、そしてファントムがその対象と似ていくように変化し、脳はその身体マップに近づくよう肉体へ命令を送ります(「痛がっている人を見ると痛い」「もらい泣き」「他人のセックスを見ると自分の身体も臨戦状態に入る」といったミラーシステムの反応はこうして生まれるのでしょう)。


 普通の人は、そういった「何かの理由があって自分の身体が変化する」という現象を「そう思ったから→身体が反応した」と考えがちですが(具体的には、セックス観察と臨戦状態の例えに対して「やりたくなったから興奮しただけだろ」とツッコみたくなる人は多いと思いますが)、思考と身体の間に「ファントムのパターン変化」という要素が挟まっている、と考えるのが脳神経科学の見解であるわけですね。
 すると、どういう状況においてファントムの身体マップが変化するのか、あるいは変化させられるのか、ということが、私達の生活や思考においても、大事な問題になってくるわけです。


 ダマシオの著書の中で二度目の邦訳である『無意識の脳 自己意識の脳』は、脳神経科学の学説を医学的に紹介した本ですが、より「人間が生きる上でのポイント」を論じた本として、三度目の訳書『感じる脳』があります。
 ラマチャンドランの本も、語り口がユーモラスで面白いのですが、個人的にはダマシオの方が実際に役立つ部分が多く、常々参考にしていますね。


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 人に脳神経科学の本をガイドする時は、ラマチャンドランで基礎的な脳の知識を覚えてもらってから、『感じる脳』で応用的な考え方を知ってもらう、というような順番を勧めていたりします。