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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

「コミュニケーションで心を共有できる」という幻想

 人間が行う意思疎通というのには二種類あって、「相手が理解できる範疇で特定の情報を知ってもらうこと」と、「私の心の中にある何かを相手にも知ってもらうこと」に分けることができる。


 例えば、母親と娘がするような会話の中で、「今日どこに行ってきたん?」と母親が訊ね、娘が「○○町に行ってきた」と答えたとする。
 母親の頭の中では「○○町」はデートスポットであり、娘がそこに出掛ける場合、大方デート目的だというパターンがインプットされている。
 それで母親が「ははーん、デートか」と知った風な反応を返した時、娘の側で不服を覚えるが、細かく説明するのも面倒だと思ったのか、「うんまぁ」と答えてこの会話はおしまい。


 実際の所、娘は「単なる気まぐれで○○町に出掛けたらたまたま彼氏と遭遇して、そのままなし崩し的にデートのような流れになった」という一日を過ごしており、これは母親の頭の中にある「デート目的で○○町に出掛けた」という理解とは微妙に食い違っている。
 しかし「○○町でデートした」という、言葉の上での共通見解は取れているので、娘はそれ以上こだわらず、「別に今日一日の出来事を全部理解してもらわんでもええわ」と観念したのだろう。
 つまり、「相手が理解できる範疇で特定の情報を知ってもらう」というタイプの意思疎通で妥協したのだ。


 ところが、一般に人間が行おうとする「意思疎通」とはそう易々と妥協できるものでもなく、「自分の心の中にあるものを、相手にも知ってもらおう」タイプの理解を求めることが多い。
 この「娘」が母親の反応にムッとしたり、ちょっとカチンと来るような不服を覚えたというのも、「私の心の中にあるものとは一致しない情報を相手に与えてしまった」という誤配が原因している。


 例題を変えて、例えば「このラーメン凄くうまいよ」と言った時、話し手は「俺にとって凄くうまかったよ」という意味で発言していて、「可能ならば、俺がこのラーメンを食べることで言いも言われぬうまさをいかに味わったのかをお前にも知ってほしい!」という願いを込めるものだが、悲しいかな、聞き手はただ「このラーメンはどうやらうまさを有する食べ物であるようだ」「さぞかし俺にとってもうまいのだろう、失望させてくれるなよ!」というように、自分の思考の範囲内でその言葉を受け取るのだ。
 だから「このラーメン凄くうまいよ」と教えた者も、少し頭を働かせた後で「……まぁ、お前の好みに合うかはわからんけどさ」などと付け加えようとするだろう。


 「私の心の中にあること」を、誤り無く相手に理解してもらうためには、深く、根気のあるコミュニケーションが必要になってくる。
 そこまでの「深さ」の無い、言葉の上で交わされる意思疎通においては、上記のように「そっぽを向いた」食い違いが必ず伴う。


 だが、大抵の人が、話し相手に対して「〜〜〜ということなんですよ。わかりました?」と確認を取ろうとする時、その真意は「私の心の中にあるものを、あなたの心の中へとそっくりそのまま移すことができましたか? どうですか?」と確かめたい欲望にあるのだ。
 答えは大抵、無責任なイエスであるか、曖昧なイエスであるか、 ノーであるのに。


 人間は、心の中を理解されることを求めるし、それが可能であり、コミュニケーションするからには「理解されて当然である」と思い込むフシもある。
 勿論、知識として「完全な意思疎通など幻想である」ことくらいは誰でも知っている。しかし、頭でそう考えていても、無意識に「私の心の中にあるものをそっくりそのまま伝えることはできるのだ」という幻想は消えてくれない。
 精神的に余裕の無い状態になると、その幻想に人は支配される。「あー、なんで私の言うことがわからんねん!」などとヒステリーを起こす人はいくらでも見かけることだし、そうした心理に冒されることはあなたでも例外ではない。


 言葉だけで「心の中」を相手へと伝えることはできない。しかし人は、「言えばわかってもらえる」という幻想を言葉に込めることが、あまりにも多い。



 物語における意思疎通は、そういった心理に加え、少々複雑な事情が絡んでくる。


 物語を受け取る者は、キャラクター個人個人の「心の中」がそれぞれ別々に働いていて、それぞれ異なる認識の仕方をしている……、などとイチイチ把握していられるキャパシティを持たない。
 仮に「X」という情報に対して、Aさんは92%理解していて(つまり8%は誤解して)、Bさんは80%理解していて(残り20%の誤解は、Aさんの8%とは全く別種の誤解だったりする)、Cさんは77%理解していて……などという微妙な差異をイチイチ気にしていられない。


 だから多くの物語は、「Xについてはみんな同じ情報を共有し、お互い了解が取れている」という描き方を好む。
 つまりあの「かくかくしかじか」と同じ手法が、どんな物語でも効果的に用いられているのだ。手順としては、「作中に描かれたキャラクターの心」を受け手が知り、その「受け手が知ったことと同じこと」を他のキャラクターも同じように知ったように見せかける、という手続きが踏まれる。
 そうすることで、各キャラクター達に同一の情報が均等に行き渡り、情報がフラットに共有される

















 でもそれは人間のコミュニケーションとしてはウソなんだよね。


 受け手にとって理解の助けになるから、手抜きの結果としてそういう情報伝達が生まれているだけだ。
 本当は、みんなバラバラの情報を断片的に知り、バラバラの前提に基づいて解釈し、バラバラに意味付けをし、バラバラに理解しているのだ。
 みんなそっぽを向いていて、心の中で同じものを同じように感じることなど、滅多に無いものなのだ。
 それが正しい情報伝達の在り方であって、「かくかくしかじか」で共有可能な情報なんていうのは、現実には存在しない。


 今週のマガジンの『School Rumble』を読むと、(元々そんな世界観を描いてきた作品ではあったけど)そういう人間の在り方っていうのが、いやんなるくらい良く描けてるなぁと思ったりして、この日記を書いた。


 そんな漫画だから、♯257における八雲のモノローグである、

誰か


誰か


どうか今の
烏丸さんの言葉
気持ち


姉さんに
正しく伝えて
あげて

……この「正しく伝えてあげて」という祈りが重くのしかかってくる。
 烏丸の「心の中」は、八雲というメッセンジャーを通じて、播磨や沢近たちにどれだけ正しく伝えられたのか。烏丸と拳を交わすことで播磨は、どれだけ彼の心を理解できたのか。おそらく誰も100%理解していないだろう。「かくかくしかじか」式の、フラットな情報伝達は安易に行われないのだ。スクランの世界では。


 それぞれの「理解度」のようなものが、読者に対して親切に語られるようなことも無い。
 しかしそもそも、物語のキャラクターに対して「彼らの心の中にあるものを、読者の私達にもそっくりそのまま移してくれませんか?」などと求めることは、現実的な意思疎通の在り方としてかなり異常なのだ。
 現実で、そんなことを他者に要求することはありえないだろう――、それは、「テレパシー能力がほしいなあ」レベルの、幼稚な幻想に過ぎないのだから。そして、スクランはその幻想を裏切る。

「ゼロ年代の想像力」にかこつけて今更劇エヴァを語ってみる - ピアノ・ファイア

 いわゆるラブコメというのは、(よっぽどのミステリアス系のキャラは別として)ヒロインの内面がスケスケになっていることが必要で、おそらく即物的な「萌え」を求める消費者であるほど、そういうスケスケ描写の不足によって不満足感を得る可能性が高い。

 しかし、基本ディスコミュニケーションをテーマにしているスクランでは、「他者のわからない所は想像するしかない」という「わかろうとする努力」を読者にも求めるようなつくりになっている。

 現実においても人間は、親しい人々、親しくない人々に限らず、他者を「見守る」ような視点しか持つことができない。レストランでの食事中、遠くのテーブルで口論する客の会話を耳で拾いながら、ハラハラさせられるようなものだ。彼らが言葉で傷つけあっていることだけはわかる――しかし彼らの心に深く踏み入ることはできない。しかし興味をそそられる。


 スクランの視点は、そうした現実における視点の在り方を良く反映しているような気がする。読者はキャラクターの心を「わかったつもり」になることができない。現実の他者がそうであるのと同じように。
 小林尽自身の、「他人に理解してもらうならこのくらいでいいだろう」「他人を理解するのはこのくらいでいいだろう」という奇妙な「他者との距離感」が、作品から滲み出ているような気もする。
 最近、小林尽のデビュー作(PNを変える前の黒歴史)を読む機会があったのだが、その頃から既に「はっきり描かなくていいと思ったことは明示しない」という奇妙な資質が表れていて、なんだか不思議な感じだ。

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