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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

ディスコミュニケーションを物語へと広げる漫画

 kamimagiさんの『いいひと。』感想を読んで。

 つーか、ここまで相手の意図が伝達しきれない話ってのがすごい。
 でも、たいていは相手の意図が途中まで伝達されないが、最終的にはいい方向で伝達される。


 勘違いされても、結局なんだかんだで伝わるというのもシリアスコメディともに通低してる。


 つーか、これは読んでくれるとわかる。
 いま、ネカフェで書いてるから細かい説明ができないので、だれか俺の言いたいことをわかりやすく精密に説明して書き直してくれる人ぼしう。

 kamimagiさんがスクラン読んでるかはわかんないんですが、多分ウチの《スクラン考3:双方向を目指す想い(1/2)》における「ディスコミュニケーションを前提にしたコミュニケーション」の概念を使えば説明しやすい筈……というか、そこからみやもさんが派生させて書いた『エンジェル伝説』論に近い感じなので、そっちを読んで貰えば良いやも。


 以前、ペトロニウスさんにも「汎用性が効く概念」と誉めてもらったことがありますが、スクラン考の内容は、様々な作品を読む時に応用できる読み方だと思います(というか、そういう普遍性を与える目的を持って書いてます)。
 現にペトロニウスさんはスクランだけでなく、花の名前やハチクロなどの少女漫画の感想にもこの読み方を使っておられましたね。
 ペトロニウスさんは、スクラン的な人間関係の構造を下記のように整理されてます。



これは、先日読んで感銘を受けたいずみのさんの「スクラン考」 でヒントを得たが、お互いに愛情を抱いているのに、思いが届かないディスコミュニケーション状況があり、、、、神の視点で読んでいる読者だけはそのディスコミュニケーションの世界が、実は愛に満たされていること知っている、という物語構造だ。


こういう


ディスコミュ二ケーションを前提とする関係性


って、昨今とても多いような気がする。


・・・・・・・現実では、ディスコミ状況の関係性は、「わかりあえない」不毛感の反復になることが一般的なんだが、それに対する抵抗としての物語なのかもしれないなぁ、この手の作品は。

 「神の視点で読んでいる読者だけはそのディスコミュニケーションの世界が、実は愛に満たされていること知っている」……というのがまぁ、「この手の作品」を楽しんで読む上でのポイントなんだろう、とぼくも思います。


 で、次は肝心の『エンジェル伝説』論なんですが、みやもさんがmixi内で書かれたものなので、本人の許可を取った上で全文転載させて頂くことにしました。
 以下どうぞ。

エンジェル伝説おもろい

八木教広「エンジェル伝説」(15巻完結)を久々に読んでみる。
悪魔のような容貌と天使のような優しい心をもった少年が周囲に誤解されまくって恐怖の大番長扱いされながらいつの間にか不良軍団を形成し(本人は仲良しグループのつもり)、他校の不良だの教育委員会から派遣される不良撃退屋だのを本人も知らぬ間に打ち破りつつ、無自覚に最強伝説を築いていく学園コメディ。
改めて見るとかなり突っ込んだとこまで楽しめる気がするのは、多分ディスコミュがらみで某氏*1の薫陶を受けた今だからなんだろう。

北野くんを取り巻く人々には彼をどう評価するかで三層に分かれていて、

・誤解(悪魔のような男)
・誤解中の理解(悪魔のようだが立派な男)
・理解(天使のような人)

で、キャラによってこれが固定されてたり移動したりする。おもしろいのは真ん中の“誤解の中の理解”という危なっかしい層がずいぶん大きくクローズアップされているところ。コメディから始まったためというのはあるんだろうけど、シリーズ後半に入って格闘物や学園物のまっとうなドラマが濃くなってきてもその特色が充分キープされてたのは大したものだと今更ながら思ってしまう。
とくに“裏の7人編”なんかは、単純にバトルで撃破するか、誤解→理解のわかりやすいスイッチを連発して快楽を生産する方がたぶん(少年漫画的には)描く方も楽だったろうに、八木先生は最後までその安易な道はとらなかったという点で、僕はこの漫画がとても気に入っている。
いいかえると、「最後には当事者が徹底的に理解しあわなきゃいけない」強迫観念から解放されている世界観が読んでいて肩の力が抜けて、好きだったのだ。




理解へのスイッチングの話でいうと、じつはヒロイン格の良子ちゃんより、子分の竹久くんの方がドラマが上等だったのはたぶん多くの読者が気づいてるんじゃなかろうか。


良子ちゃんは北野くんとの戦いを経て誤解から理解へ一足飛びにガールフレンドの地位におさまったキャラだけど、竹久くんはというと、長いシリーズを通して誤解→誤解中の理解→理解の全段階を通過したうえで、しかも自分で納得のいく着地点として、理解しながらも誤解していたときと同じポジションを続ける決心に至るという心的なゆらぎが豊かなキャラだった。


具体的には、

・悪魔のような北野さんには逆らえない

・悪魔のようだが尊敬できる北野さんに付き従おう

(長い時間が経過)

・えっ、北野さん普通の人だったの?ガーン いまさら分かっても、どうすれば……

・それでも今までの付き合いには嘘はない、やっぱりこの人のそばにいたい!

というわけで、既成事実としての友情が誤解を超克するというかなり熱いパターンを見せてくれたのであった。


で、愉快なのはこれが完っ全に竹久くんの内面でのみおこなわれる処理だという点。
北野くんはというと、竹久くんの葛藤なぞ最初から最後まで知ることもなく、ただ「クラスで最初の友達」として一緒にいて仲良くし続ける。「エンジェル伝説」は北野くんの成長物語ではなくて、北野くんという定点に対して周囲が勝手に感化され移り変わる物語であることを象徴づけるのが、竹久くんなのだ。
逆に言うと、周囲の“友達”に「なんていい人なんだろう」と感動しつづけて最後までそれが解消されない北野くんこそが一番根深い誤解のレイヤーに立っていたともいえる。そして繰り返して言うが、そういう誤解含みでそれなりに日々が続くという、「ある程度の慢性的な誤解を許容する」ゆるやかな世界観が、本作のキモであったのだ。

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 『いいひと。』と『エンジェル伝説』は方向性こそ異なるでしょうけどね。
 誤解のドラマとしては、エンジェル伝説の方が「ひねり」が効いてて、いいひとは「直球(むしろ力業?)」になってるような感じかもしれません。


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*1:いずみののこと