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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

赤松健インタビューについて

izumino2005-11-12

 既にご覧になっていると思いますが、というわけで、先月ぼくが上京していたのは、この赤松健インタビューの取材が理由でした。ちなみにかーずさんがいいんちょ描いてもらったのは実話。みんな真似しないように。


 以前、同人誌の原稿について「いつの間にか自分が一番長い記事を書き下ろしてました」と書いていたのは、このロングインタビュー記事のことだったりします。力作です。
 上京時のインタビュー自体は大変な大仕事で、精神的にへとへとになって帰宅したことを覚えています。それ故に、人生で生きてて良かったと思うことのひとつに数えられる経験をしたと思います。


 少し事情説明しておきますと、「インタビュー受けてくれるんじゃない?」と言い出したのはかーずさんやTaichiroさんの方で、ぼくは「そんなの無理だろう」「紙面でのインタビューならまだしも」と言ってたんですが、どういうマジックを使ったのかは知らないけども対面してのインタビューの約束をTaichiroさんが取り付けてきたのが、えーと、9月の末ですか。
 その場合のインタビュアーはぼくに任せる、ということは(Taichiroさん達の中で)最初から決まっていたようです。
 そうなると後はもう、張り切るしかないわけです。


 ここから少し自分語りに入りますけども、ぼくの日記を前から読んでる人は察しがついてると思うし、友達相手には常々言ってることでもあるのですが、ぼくは赤松漫画のファンじゃなくて、「赤松健のファン」なんです。
 何せ好きになったきっかけが、2000年頃に読んだコミケの同人誌や、『ラブひな0』に載っていた作品語りやインタビューで、そこに何かを肌で感じ取って。それから公式サイトの日記帳をチェックして、コミケでは必ず並んで買うようになったんですが、当時『ラブひな』は立ち読みで済ませてただけで単行本も揃えてなかったし、さして面白いとも思ってませんでした。当時ぼくは丁度二十歳ですね。
 それで2001年冬コミの同人誌『赤松web日記』で日記の過去ログ(当時は日記の過去ログがwebで公開されてなかった)をまとめて読んで、その創作態度や人間性に対して完全に傾倒するようになりました。


 人間は「自分に足りないモノ」を持っている人に憧れるものですけど、自分にとっては赤松さんがまさにそれでしてね(ここらへんの愛情告白は実際にお会いした時にも散々して恥をかいてますが)。
 非常にドライだったり、その割に人を楽しませることしか考えてなかったり、かなり鋭いことを考えているのに理論でガチガチでもなかったり、自分は芸術家じゃないと言ってる割には、アナログで職人的な感性に愛着を抱いていたり、文学部卒のクセに理系的だったり、臆病そうで大胆だったり、オタクだけど社交力は高かったり、多くの矛盾を内包して個性を作っている所が魅力的でしょうがなかった。日記のログを読んでて、時々凄く泣けたり熱くなる箇所もある。
 特に「ゴッホは天才だったのか」の一文が強烈にガツンときて、「この人は、“人間一人の評価は信用ならない”と思い込んでる人なんだ」と。しかも十人の人間に大絶賛されたとしても(その一人一人の言葉が正しいと保証する存在はどこにも無いのだから)やはり信用できないんだと。そのくらいなら、百人、千人、一万人、十万人を相手にして、(たとえ一人単位の大絶賛を捨てたとしても)それだけの人数を喜ばせられるのなら信用していいかもしれない、と、そうこの人は考えてるのかもしれない(ついでに言うと、っていうことはつまり、ここでぼくがいくら絶賛したとしても、その言葉の正しさには何の保証も無いわけです。ただ、ファンの人数が一人分プラスされるだけでしかない)。
 これは日記の中に直接書かれていることではなかったんですが、直感的に感じ取った人物像でした(なので、いつか本人の言葉で確認したかったことの一つでした。インタビューのメインテーマのひとつにもなっています)。


 しかもこれだけの文章を書き残しておきながら、「自分を理解して欲しい」という素振りがさっぱり見えてこないのも、凄い(この気配は、実際お会いした時でもそうでした)。
 もう、一時期は「この人を人間的に理解しているのは、本人の仕事仲間を除けば俺だけだろう」という所まで入れ込んでました。ここまでくると、もうアイドルかヒーローみたいな好き方ですね。
 特に人前では想いを出さずに、3年間くらい、一人で沸々と。
 でも、それでも『ラブひな』自体に興味はあんまり無かったし、ネギまの連載が始まってからも、ただ創作姿勢や考え方だけに注目してましたね。やっぱり本人の日記や同人誌の方が面白かったので。
 例えば、とある技術者や学者なんかのドキュメンタリを見て、凄く尊敬するし感動もするけれど、実際に彼等が活動してる分野には特に思い入れが無い、という感じに似ているでしょうか。変な喩えですが、キュリー夫人を読んで感動して、「私も原子の研究が大好きです」という感想を書く人はあんまり居ないでしょう。そんな感じです。


 ネギまの場合は、単に途中から少年漫画化して、たまたま「自分好みの方向」に進んだのと、赤松さん自身の実力が漫画的に賞賛できるレベルに達したからこそ作品単位でも愛好していますが(ファンの手前あまり言葉には出しませんが、ここらへんは結構ドライに見ている所もありますよ)、基本的には「いずれネギまが自分好みの漫画じゃなくなったとしても、赤松さん自身のファンは止めないだろう」という気構えでいます。
 でもまぁ、「ぼくの好きな方向=大衆娯楽」ですから、赤松さんが初志貫徹してエンターテイメントを志向し続ける限り、ぼくは作品も含めて支持することになるでしょう。


 赤松さんにはそれほどの思い入れがあって、勿論頭の中で想像しているだけの人物像なんですから、多分に偶像化していた所もあったと思うのですが、実際にお会いした赤松さんは、多少イメージの修正の必要はあっても、想像以上に人間的だったり逆に謎めいていたりして、本当に感動しました。
 実際にお会いしてから、また凄く影響を受けて、色々と元気づけられましたから。
 このインタビューの為に生きてきたと言ったって、大袈裟にはならないでしょう。
 そういう、ぼくの個人的な内情を含んでいたインタビューですが、独りよがりな質問内容にならないよう、記事として面白い読み物になるよう心掛けました(だから「久米田さんはどうなんでしょう」とかちゃんと訊いてきましたよ)。
 皆さんも是非手にとって読んでみて下さい。
 その時、ぼくが赤松健論を作ったことの内、何割かは報われたことになると思います。


 イマイチするチャンスも今まで無かったので、この機会にと赤松健語りをしてみました。我ながら、これだけ作家に思い入れる人も珍しいと思います。