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『放課後ウインド・オーケストラ』がなぜ面白いのか

 ブログ以外で何回かに分けて書いていた感想を、2巻発売にあわせてアップしておきたいと思います。


【2巻感想・その1】失われていく情熱の保存

 『放課後ウインド・オーケストラ』(以下WO)の話なんだけど、なんとなく言葉にしにくかったこの面白さ――少年漫画的アツさ――のワケは、2巻に入ってようやく言葉にできるような気がする。


 一応、セリフでも語られているテーマらしきテーマは「モラトリアムにおける勝たなくてもいい勝負」というもので、これはヒロイン・藤本さんの中学時代や、新キャラ・梓さんの過去話でパラレルに描かれている。
 ではその「勝たなくてもいい勝負」の場で、モラトリアムの子供は何を目的にすればいいのかというと、それは志を「冷まさずに暖めておく」こと、……つまり、大人の世界へ今の気持ちを「損なわずに持っていく」ことが子供の義務なのだ。
 それは『成恵の世界』という漫画が10巻で到達していたメッセージにも通じている。子供の情熱は、その多くが無意味に散っていくかもしれないが、……そんな情熱でも、その「熱」を失ってしまった大人は心を凍らせ、未来を閉ざしてしまうのだと。

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 これはジュブナイルや少年漫画に普遍的なテーマでもあって、「少年期の情熱を損なわずに成長すること」はどんな作品でも目指すことが求められるし、だから成人読者にとっての少年漫画とは、失ったものを取り戻す……「回春」をさせてくれる場となるのだ。
 少年漫画に登場する大人のキャラも、たいていは子供たちの姿を見てささやかな「回春」を体験する存在として描かれる。『少年エース』掲載の『成恵の世界』もそう。だから成恵もちゃんと「少年漫画」したジュブナイルなのだ。


 WOは「情熱さえ保存できれば、結果を残せなくてもいい」というメッセージを示す一方で、吹奏楽団体競技であることにも触れていく。だからもちろん、「勝ちたい」という情熱に懸けた仲間もいるんだ、結果を残さなくてもいいってことにはならないんだ、という衝突が発生してしまう。そこで「勝てなくてもいい仲間と、勝ちたい仲間がいるなら、両方満足できればいいんだろ?」と両勝ちを目指す主人公、という存在が際立つのだろう。
 そして、「他人と比べられる勝負」に価値を感じられない梓に向かって「他人と比べられることはイヤじゃない」と伝えようとする男・矢澤もいる。


 「勝てなくてもいい、でも勝負を投げるわけじゃない」という二重のテーマを背負うのが「主人公・藤本・梓」の三名なら、その完成した才ゆえに「今まで勝って当たり前」だったろうキャラとして月川海澄がいる。そんな彼にとって「このモラトリアムで保存すべき情熱」とは何なのか? が問われてくるのかもしれない。
 また、そもそも確固とした情熱を持っていなかったキャラとして小宮山センパイがいて、彼女が主人公や月川に小突かれながら情熱を感じていく過程もあれば……、という期待もできる。
 だから作品内で「回春」する役を背負うのが誰かというと、それが小宮山さんということになるんじゃないのかな。
 だからこそ2巻の読後感の中で残響するのは、オマケ漫画「小宮山智恵 小学2年生」におけるこの言葉なのだろう。

 違うよ
 違うんだ ただ……


 忘れないで

【2巻感想・その2】成長した奈央について

 雑誌掲載時にちょっと友達と物議をかもしていたのが、番外編における「成長した奈央」についての解釈だった。
 あれは単なる「肉体的な成長」や「未来の可能性」とかではなく(大抵の漫画で「オトナ変身もの」をやっていたらそう解釈している所だが)、彼女自身の「成長したいというイメージの産物」だったのではないか、という説が妥当だと思えたのだ。


 月川をヘコませるほどトランペットが巧くなっているのも、彼女がそういう成長をイメージしたからであって、だから譜面をスラスラ理解するまで賢くなっていても、なぜか漢字は読めなかったりする。それは「漢字が読める」「大人並にお店の仕事をできる」といったイメージをする動機が、あの時の彼女には無かったためではないか。
 奈央があの時になりたかったのは、美人で、ナイスバディで、音大生ともアンサンブルのできる自分だったんだから。


 あの大きくなった奈央が「未来の可能性」とかじゃなく、彼女のイメージの産物でしかなかったとしたら……。この番外編は月川や平音の視点で意味がある(奈央を客体とした)エピソードではなく、奈央寄りの視点でこそ意味がある(奈央主体の)エピソードとして読んだ方が相応しいはずだ。
 つまり、あの「ええ きっと そう遠くない未来で」という台詞は、普通の漫画なら「未来における月川との再会フラグ」とかそんな機能をする所だ。
 が、月川の人生からすれば「自分をヘコませるほどのトランペッター」としての奈央が実際にそう成長してくれる確証も無いのだから、再会フラグのような意味はもたらされない。「奈央による成長のイメージの産物」は小5の奈央が生んだ幻であって、「奈央が実際に成長する結果」とイコールではないのだ。


 だから実は、奈央にとってしか意味を持たないのが、

月川「またここで会える?」
成長した奈央「ええ きっと そう遠くない未来で」

……という会話なのであって、これはきっと「月川ではなく自分に向けた自問自答」として機能すると見るべきだ(もし「成長した奈央=イメージの産物」という「読み」でいいならね)。
 「きっと会える、そう遠くない未来で」という約束は、奈央自身にかかる言葉なのだ。


 まぁいささか回りくどい解釈ではあるけど、

  • 「自分の成長をイメージすること」
  • 「その成長後がまだ訪れない期間(=モラトリアム)であっても、成長のイメージを失わずに火を絶やさないこと」

……をテーマにしているWOの番外編だということが解っているなら、これ以上にしっくり来る解釈も無いもんだろう、とは思うのだ。
 「上手くなってたら……………」「なってるわ 毎日…」ってやつだ。

【2巻感想・その3】信仰対象と邂逅する幸運

 2巻を読み直してみると、梓さんと矢澤の関係がやっぱりいい。
 ここで描かれているのは「信仰対象との出会い」なんだろうな。
 平凡な人間の心に「信仰」が芽生える瞬間が、「美人の先輩と一緒にいられるから」などという不純な動機ながらも、綺麗に切り取られている感じがする。


 こういう「信仰心との邂逅」は、音楽にハマる人間に共通の体験なのかもしれないな。
 意外と……、というか1巻では割とストレートに表現していたけど、この漫画は「音楽」を「宗教音楽」として描いている感じはする。
 だから「現代の学校生活」ってのを描く青春漫画のようでいて、あっさり「グラナディラの精」なんてのを登場させてしまうあたりも、なかなかロマン派じゃないかと思う。

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