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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

ラブひなとネギまの箱庭の違い

 終盤の景太郎がひなた荘に依存していないように、ネギは麻帆良学園に依存していない。
(中略)
 そんなわけで、作者本人の言と対立するようではあるけれど、『ネギま!』の箱庭の正体が麻帆良学園だと考えていると、主人公の自ら箱庭幻想を破壊する志向性と、そこから生まれる緊張感を理解しにくいのではないかと思う。

 これは的確ですね。
 あと「作者本人の言と対立するようではあるけれど」と仰ってますが、赤松さん自身はエーミッタムのインタビューでも、「(癒しがテーマだったラブひなに対して、ネギまは)癒しだけじゃ駄目だっていうことですか?」という質問に対して「そうです」と肯定していました。
 読者に面と向かって「ラブひなとは違うことやりますよ、ネギまでは辛いことも起こりますよ」なんてアナウンスしたりはしないのは、作者の性格的なものでしょう。「最初はラブひなと同じと思っておいてもらって、実は……」っていう仕込み方を狙ってる所もあるでしょうし。


 ラブひなは、景太郎がひなた荘の女の子達に癒されて応援されて東大に「入れてもらう」話でしたけど、ネギまは、ネギが自分一人で頑張りすぎて麻帆良学園の外に出ようとしてしまうのを、クラスメイト達が「日常に引き戻す(バランスを取る)」話だと思います。
 そういう意味では、亜子編のネギが「将来は魔法使いの組織に入りたい」と意思表示してしまったのは、かなりの重大発言といえばそうですね。麻帆良学園は(更に言えば「日本」すらも)通過点に過ぎない、と認識しているようなものですから。


 それと見落としてはいけないのは、武道会編(KC11〜13巻)が終わったあとも麻帆良祭編」は連続して続いている(KC14巻〜)ので、今のネギは、実はまだ非日常の側に居るということでしょうか。
 いくらクラスメイト編が続いていても、平日の学園生活へ戻らないことには、日常サイドに入ったことにはならないんですよね(これは、ネギまのシリーズ全体を通しても特殊なケースだと思います)。
 だから今のクラスメイト編の見所は、ネギが日常サイドに戻ることができるよう、いかにクラスメイト達が奮闘するか、という点でもあると思います。
 それを対立構図にしてみると、「超一味 vs 一般人組」という図式のバトルにもなりますね。今、誰が一番ネギを(というか、ネギまという漫画全体を)、日常から引き離して非日常に放り込もうとしているのかというと、それは超ですから。