HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

「ネームの文法」前後編〜コマの中を流れる力と左右の立場〜

 「ネギま!で遊ぶ」を更新しました。コマ内レイアウト論の続きです。
 前編後編を合わせてお読み下さい。
 ネギまという作品自体とは関係の無い漫画論を提出したものなので、漫画読み全般の方のご意見などあればお待ちしています。

編集後記

 一見、BSマンガ夜話の「夏目の目」をやってるようにも見えますけど、「実は『サルまん』のノリなんじゃないか」と、いつもお世話になっている伊藤悠(id:ityou)さんからチャットで言われたりしました。あぁ、確かに。


「だが、このコマの絵を、こう反転させるとどうかな?」
「ああっ!? 後ろに下がっている!! もしくは弱そうに見える!!」
「右から左!! とにかくこの基本を忘れるな!!」
「右から左! 右から左!」
「「また一歩野望に近付いた!!」」


 大体こんな感じですしね(ホントか?)。
 ただ、ぼくには相原コージ役の相方が居ないので今回の形になったという。(ネギまを素材に使わない形で)改めてこの理論を記事にする時は、是非サルまん形式でやってみたいなと思いますけど。


 ちなみにマンガ夜話は断片的にチェックしているのですが、『マンガの読み方』はつい最近読みました(内容の被りを確認する用)。
 この理論の骨子を思い付いたのは、確か去年の年末くらいでしたっけ。仲間の漫画読み達や、漫研出身者(現職イラストレイター)なんかとも何度か議論してみましたが、当初の思い付きからはそんなに離れていませんし、実地検証の積み重ねも欠かしていないつもりです。
 ちなみにこのトピックで「右→左への流動性」を指摘しているI氏というのがぼくですね。これは今年の2月か。


 「うまい漫画家は生理的に理解して感性で実践しているけど、言語化はされていなかった」システムを言語化できたという意味では、かなり有意義な発表ができたんじゃないかと自負しています。
 ロジック優先ではなく、あくまで「感性的な指摘」に留まっているのも気に入っている所です。結局漫画って感性でしか説明できないものですからね(感性以外を用いて分析している漫画論なんてのはマユツバで読みます)。だから、「なんとなく〜な感じに見えます」という断言調ではない言い回しも多用してるんですよ。


 当然、「この部分は既出ですよ」という指摘がありうると思うんですが、詳しい人からするとどうなんでしょうか?*1 そういう情報もお待ちしています。
 「キャラを右から動かせ」っていうのは小池一夫が言ってたみたいですが……。


 ところで思うに、夏目房之介さんは「コマ同士の配置や繋がり」「コマ自体が持つ慣性の方向」に注目するタイプで、「コマの中身のオブジェクトにどういう力が加えられているか」はあまり気持ちを傾けていなかったんじゃないかという印象があります。
 おそらく『マンガの読み方』のディシプリン半径の延長で表現論を行っている(と思う)伊藤剛(id:goito-mineral)さんの論からも、そういう雰囲気を感じます。実際はご本人にお訊きしてみないと解りませんけどね。


 逆に『マンガの読み方』に触れていなかったぼくは、そのディシプリン半径の外から異質な分析を加えられたのではないかな、と思う所もあります。
 例えば、コマ割り分析の基礎理論は「逆Z型の視線操作」なわけですが、ぼくはこれもあんまり重視せずに漫画を読んでいますし、「視線」に対する認識も結構異質だったのではないかと思います。菅野博士あたりの先生は「漫画家が読者の視線を誘導するんだ」って最初に考えがちなんですけど、そうじゃなくて、「読者の視線によって、むしろ漫画が動かされているんだ」という逆の発想をあまりしていなかったのではないでしょうか。


 ただ、夏目さんのblogにこういう記述があって、それが妙に記憶に残っていたりはしました。



 もうすごく遅くなってから、砂さん、貫さんとの話で、じつは映画と現象学の成立は時代的にパラレルで、似ているのだという話がすっげー面白かったのだった。
 たしか砂さんの出した例は、一見「客観的事実」を写したような映像が、映してみるとはるかに高いはずの山と人物が同じ高さに見えちゃうとか、そういうことで「人の見てることって?」とか、「じゃ、それを利用すると映像で物語できるじゃん」とかって話だった気がする(違ってたらごめん)。たしか、最近の日本のホラー映画が、それまでのセットと照明の文法で「そこにいちゃイケナイ場所」に人を立たせると、気持ちの悪い絵になって、幽霊が表現できるようになったって話の流れだった。

 映画の演出の場合は「どっちが高いか、低いか」でドラマを表現することが多いと思うのですが、漫画の場合は「どっちが右か、左か」を更に組み合わせてドラマを表現することが多い、と言えると思います。*2

 そしてそれこそが、漫画における「じゃ、それを利用すると映像で物語できるじゃん」ということなのだろうなと感じて、なんとなく満足した気持ちになったものです。

*1:ぼくは素人であって、「漫画評論評論家」でもないので、論を網羅すること自体には興味が無い

*2:一部の画家や、富野由悠季なんかも「右と左」を意識して使い分けているらしいですが、「めくり方向」の存在しない絵画や動画でそれが成立する理由は謎。友達の一人は「見る側が右利きだからじゃないかな」って言ってましたけど、それじゃあ左ぎっちょの人は逆に感じる道理になっちゃうし、目にも「利き目」の左右差がある筈。ここらへんはオカルト(思い込み)の領域に近い気がするんだよなあ。ちなみに、逆方向に読まないといけないアメコミでは「左→右」の「めくり方向に従ったアクション」が基本になっている(上手い作家の場合は)ようなので、尚更怪しい気がする。コンピュータゲームは横文字文化発祥だから「左→右」でしょう? 映画や絵画の評論界ではどういう結論になっているんでしょうか