漫画の左右の向きの研究史
今回はちょっと、主に漫画研究者へと向けた更新です。
泉信行の漫画研究ではたびたび言及され、中心的とも言えるのが「漫画に描かれたものの左右の向き」というテーマです。
泉信行(2005年〜)
ネット上では2005年6月に発表、商業では同年12月から『ユリイカ』誌上で研究を展開してきました。
基礎原理の追究から応用法の発見、具体例の分析など、幅広く記述されています。
ユリイカ2006年1月号 特集=マンガ批評の最前線 青土社 2005-12 売り上げランキング : 406967 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ユリイカ2007年9月号 特集=安彦良和 『アリオン』から『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』まで 青土社 2007-08 売り上げランキング : 327445 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ユリイカ2010年2月号 特集=藤田和日郎 『うしおととら』『からくりサーカス』そして『月光条例』・・・少年マンガの20年 藤田 和日郎 荒川 弘 諸星 大二郎 立原 えりか 伊藤 比呂美 加門 七海 市川 春子 青土社 2010-01-27 売り上げランキング : 15744 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
以上の研究内容は同人誌『漫画をめくる冒険』のシリーズ(2008年〜、絶版中)や『マンガルカ vol.1』(2011年)で理論化されています。
他の研究者の皆さんの理解のお陰様で、いわゆる「マンガ学」の世界では、現在それなりに膾炙した理論になっていると言えそうです。
漫画の向きについての指摘の歴史
ただ、当時は学術書を意図した研究ではなかったため、先行研究の引用は最低限に留めていたのは事実です。
先行研究の網羅などは他の研究者に任せていい仕事だとも考えていたのですが、自分でも調べているうちに参考文献の数だけは揃ってきました。
よって、「研究史」を振り返る役には立つだろうと考え、覚えのあるものだけでも挙げてみたいと思います。
他にも抜けや心当たりがあれば追加しますので、情報を集める場にもなれば僥倖です。
余談ですが、この「研究史」において特徴的なのは、「漫画の技法書」の類ではほとんど言及されてこないテーマだった、という事実です。国内においては、ですが。
そこから「意外と実作者は意識したことがない」という側面が見えてくるのですが、それも今後は変化してくるのかもしれません。
エルジュ(1975年〜)
まず海外からですが、「タンタンの冒険旅行」シリーズで知られるエルジェ(Hergé)の言葉がBD(フランス・ベルギー圏のコミックス)の世界では広く知れ渡っているようです。
日本語で読める文献としては、フランスのBD研究家、ティエリ・グルンステンが『マンガのシステム』で紹介したものがあります(p96)。
マンガ家はもちろんこの方向性をこころえている。あまりにしばしば引用されてきたものであるが、エルジュの言葉を思い出そう。
読者が簡単にお話をたどれなければなりません。とりわけ大切なルールがあるのです。私たちの国では左から右に読みます。[…]わたしが登場人物を走らせるとき、たいてい左から右へと進ませるのはこの単純なルールに従っているのです。しかもこれは視線の習慣に対応していて、眼は動きに従い、それにアクセントをつけているのです。左から右に進むと、右から左に行くより早くなります。わたしはこの反対の方向を登場人物が引き返すときに使います。もしいつも右から左へ登場人物を走らせると、それぞれのデッサンはまるでうしろに進んでいるように、自分自身を追いかけているようにみえるでしょう……。
マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか
ティエリ・グルンステン 野田謙介
青土社 2009-11-24
売り上げランキング : 423177
Amazonで詳しく見る by G-Tools
引用されているのは『Tintin et moi : Entretiens avec Hergé』という書籍(1975年)で、直訳すると『タンタンと私─エルジェとの対話』でしょうか。
Numa Sadoulというライターによるインタビュー集のようなものだと思われます。
Tintin ET Moi Sadoul NUMA Imprint unknown 2007-04-23 売り上げランキング : 2176048 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
福井康之(1984年)
日本では、心理学者である福井康之による指摘が確かめられます。
これは日本の「絵巻物」の読み方を紹介する流れから述べられたものです。
この指摘は、日本の「絵巻物」に対する考え方をそのまま応用したものです。ですから、絵巻物の研究まで遡る必要があるでしょう。
福井康之が影響を受けていると解る(同書p283)のは、美術評論家である奥平英雄によるものです。参考文献に挙げられているのは、1962年の『国宝絵巻』という本でした。
国宝絵巻 (1962年) (カラーブックス) 奥平 英雄 保育社 1962 売り上げランキング : 1246916 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
こうした日本の絵巻物研究は、1999年にアニメ演出家の高畑勲が研究書を一冊出すことで現在に引き継がれています。
十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの 高畑 勲 徳間書店 1999-03 売り上げランキング : 36861 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
この本は、泉信行や夏目房之介をはじめ、漫画研究者が良く参照する文献にもなっています。
その際に引かれやすいのがこの画像です。
夏目房之介(1995年〜)
さて、日本において「漫画」を専門に扱った本の中では、夏目房之介が視線誘導論の一部として言及したものが見つかります。
これが1995年です(もっと古い例はあるかもしれません)。
『マンガの読み方』1995年、宝島社、p175
左方向はコマのメタ・レベルでの方向特性で進行方向・前方であり、右は戻る方向・後方だが[→P.209]、絵はそれと必ずしも一致しない。ここはそのズレを巧妙に使った展開になっている。
マンガの読み方 (別冊宝島EX)
宝島社 1995-05
売り上げランキング : 293712
Amazonで詳しく見る by G-Tools
この夏目の考え方は『あしたのジョー』の分析に応用され、それは作者のちばてつや自身に伝えられたこともあります。*1
2002年の『ジョー&飛雄馬』第1号のちばてつやインタビューから(底本は『マンガの深読み、大人読み』光文社版p257)。
ちば 〔略〕僕は本能的に描いてるだけで。ホセ戦では、僕の中で丈のコーナーは右側、ホセは左側になってるんです。だから、最後の燃えつきた場面も、丈は右側に座って左向いてるんですね。
夏目 そこがすごいと思うんです。日本のマンガは右から左に読んで話が進みますから、時間は右→左に向かう。だから敵は左にいる。左はマンガの中で「未来」なんですね。〔略〕
ちば ホセは未来になる……。なるほど。そこまで計算してたわけじゃないけど。
ジョー&飛雄馬 VOL.1 (少年マガジン名作コレクション, 第1巻第1号通巻1号)
野内雅宏
講談社 2002
売り上げランキング :
Amazonで詳しく見る by G-Toolsマンガの深読み、大人読み (知恵の森文庫)
夏目 房之介
光文社 2006-11-07
売り上げランキング : 213569
Amazonで詳しく見る by G-Tools
ここで「本能」「計算してたわけじゃない」という言葉が返ってくるところに、先述した「意外と日本の漫画家は意識したことがない」という側面が表れていると言えるでしょう。
その後、ちばてつやは「ジョーは死んだようにも見えるが前を向いているのだ」という両義性を自ら解説する際に、夏目による「左右の向き」の分析を借りるようになっています。
僕は本能的に描いているだけですが、ホセ戦では、僕の中でジョーのコーナーは右側、ホセは左側になっています。だから、最後の燃え尽きた場面も、ジョーは右側に座って左を向いてるんです。
〔略〕子供たちは、ジョーはただ目をつむって休んでいるだけで、明日はまたサンドバックを叩いて世界タイトルを目指すんだろうな、と考えられるように描いたんです。〔略〕何とでもとれるように描いたんです。僕にはあれしかありませんでした。
(『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』2010年、講談社、p257-258)
ちばてつやとジョーの 闘いと青春の 1954日
ちば てつや 高森 朝雄 豊福 きこう
講談社 2010-01-07
売り上げランキング : 156670
Amazonで詳しく見る by G-Tools
とりあえず、今覚えている資料ではこのくらいですが、他にも参照できるものがありましたらご教示ください。
小池一夫(2000年〜)/20140521追記
キャラクターはこう動かす! (スーパーキャラクターを創ろう 小池一夫のキャラクター実践論) 小池 一夫 小池書院 2000-03-30 売り上げランキング : 205253 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
小池一夫が漫画の実践テクニックを説いた本の中に、「コマは右から左に動かす」と題されたページがあります(p58-59)。
以下に記述を引用します。
漫画では、キャラクターが右から左に動くのが基本です。
と書くと、すべてを右から左に動かす人がいますが、場合によっては左から右に動かしても一向にかまいません。
しかし、ページの最初のコマや、最後のコマのようにポイントとなるコマは、原則として右から左にキャラクターを動かします。
日本の漫画本は、右起こし、つまり右ページから先に読み、左ページに進む、という形式をとっています。コマの流れもそれと同じです。
この流れに沿って構成するのですから、キャラクターの動きも、やはり右から左に流れるのが見やすい要素です。
逆に左から右に動かすときは、この流れに逆らうわけですから、ここで動きが止まります。
すると、読者の視線もそこで止まり、じっと見ることになります。
ですから、読者の視線を引きつけたい場合は、左から右に向かう流れを描くことも一案です。
〔中略〕
ページの最後のコマは、次のページに読者の目を送るための大切なコマです。そのため、キャラクターを必ず左向きにすることが基本になります。
構成を長く続けていると、これらのことは自然に身についていきます。
しかし、初めのうちは、こういったミスを見落としがちです。画稿の段階では気づかず、印刷されてから、おかしいと気づくことも多いようです。
基本的にはエルジュや夏目房之介の発言と変わりはなく、より実践的な観点(最初と最後のコマを重視する点など)から書かれていると言えるでしょう。
20131003追記
少女マンガ ジェンダー表象論: 〈男装の少女〉の造形とアイデンティティ 押山 美知子 彩流社 2013-01-08 売り上げランキング : 68327 Amazonで詳しく見る by G-Tools | マンガ研究 vol.2 日本マンガ学会 日本マンガ学会 2007-08 売り上げランキング : 1097840 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
元は学術論文ですが、2002年に『マンガ研究』誌上で発表され、書籍としては2007年に刊行された押山美知子さんの漫画論です。
「コマの右側は優位、左側は劣位」という主張が、前出の夏目房之介や絵巻物研究を参照して論じられています(絵巻物を参照しているのは2013年に出た増補版の加筆部分から)。
漫画バイブル〈2〉構図破り編 田中 道信 マール社 2004-04 売り上げランキング : 176401 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
これは2004年に出た本で、ぼくが漫画研究を始める際に先行研究を調べていた中で読んだ漫画技法書のひとつです。
漫画技法書の中では珍しく、「コマの構図を反転したときの印象の違い」を解説しています。