『ふたりはプリキュア』終了後のまとめ(その1)
少しずつ小出しにして書いていきたいと思います。
一回目のお題は、番組に通底するテーマについて。プリキュアはこのテーマを貫くことができたからこそ評価できるわけです。
以前から言及しているように、プリキュアの基本テーマは「力の無い子が強い相手に負けない」という子供の夢を具現化することであり、それは「子供 vs 大人」や「女の子 vs 男の子」や「理想 vs 現実」の構図だったりします。
特に「子供 vs 大人」は今まで少年漫画の世界で顕著に描かれてきた構図であって、例えば初期の『ドラゴンボール』は悟空が小さな子供だったからこそ意味があったのだし、『キン肉マン』はダメ超人がエリート超人に勝つからこそ、子供の読む漫画として意味がありました。
そういう意味では、弱者が強者と戦うプリキュアも基本は少年漫画なわけです。プロデューサーやスタッフが殆ど男性であることからも、男の子向けのジャンル(少年漫画やキッズアニメ、特撮など)のエッセンスから出発していることは疑いないでしょう。
ただ、「バトル→勝利→バトル→勝利→バトル・・・」の繰り返し(=戦いの串団子)で満足できるのは「勝つこと」自体が好きな男の子に限った話であって、「勝つこと」自体に対する興味が薄いと思われる女の子達にとっては別の目的が必要とされます。
そこでプリキュアのスタッフが考えた目的が「日常を守りたい」であって、まず楽しいヒロイン達の日常を描き、そこにドツクゾーンが襲ってきて、本来なら普通の女の子は抵抗できないんだけど、そこでプリキュアに変身してやっつけることができて、めでたしめでたし。こういう形で「子供の夢の具現化」を実現しているのですが、それは「女の子の為に作られた、女の子が活躍する少年漫画」という珍しい形式*1を選んでいることでもあるわけです。
そこで比較対象となるのは『美少女戦士セーラームーン』であって、あちらは「男の子向けの要素を取り入れた少女漫画」という形式を選んで成功した、プリキュアと丁度逆の発想で作られていた作品なんですね。
以上がプリキュアの、最も底の部分に流れるテーマであって、他は寄り道部分に過ぎないと、49話を通してそうだとぼくは判断しています。子供番組として成立させる為なら、多分このテーマを遵守するだけでいいでしょう。
プリキュアは視聴者層も広く話題性も高いので、特にオタク的な視点で観る人は人それぞれ色んな期待を作品に求めて止まないわけですが(アクション、学園コメディ、泣き、ラブコメ、百合、萌え、玩具、良作画、良演出、良脚本などなど)、それら全ての要求に作品が応えるのは事実上不可能であり、ならば客観的に作品を評価しようとする場合は「基本テーマを貫けていたかどうか」を判断するだけで十分な筈です。
ただ問題だったのは、この基本テーマの存在に気付くことのできない、オタク層の視聴者があまりにも多かったこと。これは視聴者側の感受性の問題でもありますが、スタッフの表現力がオタクを満足させる程に高くはなかったということでもあり、微妙な問題です。
しかし、いい歳した大人がわざわざ子供番組なんかを観ている以上、自分から目線を下げて子供の意識に寄った形で番組を楽しんだ方が、よほど建設的で有意義な視聴態度だとは思うのですが……。*2
続く。→id:izumino:20050208#p1