「瓶詰」に感じる気恥ずかしさと、「プリキュア」に感じるそれとは、似て非なるもの(Fuku Diary)
……に、ちょっと反応します。
キッズアニメはキッズアニメ、オタク向けアニメはオタク向けアニメでしかないと思います。それらを同列に「比較」すること自体に無理があるし、角の立つ表現にもなってしまうのではないでしょうか。
同様に、子供番組オタクと、オタク向けアニメオタクも別々のオタクと考えるべきでしょう。実際には両者を行ったり来たりする「アニオタ」で占められているのでしょうが。
これらを比較するということは、音楽で言えばジャズとメタルの違いを論じるようなものです。その違いをわざわざ説明しないと理解して貰えない状況があるとすれば、メタルフリークが「ジャズはメタルだ」と批評している様な状況でしょう。つまり「キッズアニメはオタク向けだ」という言説に対する反論としてです。
プリキュアの例で言えば、「どうせお前もプリキュアに“萌え”てるんだろ?」と言われてしまう(かもしれない)ケースに繋がるでしょうか、しかしそれこそ「萌え方が違う、何言ってるんだ」の一言で一蹴されるべきではないか、と。
ちなみにぼくは「制作者の意図しないところに萌えを見いだすのが本道」だとは考えていなくて、それは「子供番組オタク的に本道」だという程度のことだと思います。
逆に、オタク向けアニメオタクにとって“萌え”という言葉は“感動”とほぼ同義のように扱われている気がします。通常、制作者は客を感動させるべく創作し、客も制作者が送らんとする感動を読み取ろうと努力します。時々、「紋切り型の感動」に客が食傷を起こしたり、制作者の意図を越えた感動を客が発見する、という点は萌えと同じです。
確かに今は「紋切り型」が多いのかもしれませんが(実際そうだと思いますが)、「制作者の意図通りに萌えることは萌えの本道ではない」とは言えないでしょう。
参考に、関係のありそうな自分の記事をリンク。しかし、こんなことを考えてるぼくの精神年齢は一体。
- 最近のオタクと萌え作品について(id:izumino:20040128#p3)
- 子供向けアニメと大人向けアニメについて(id:izumino:20040209#1076336076)