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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

幼女とかメガネはシミュラークルでしかない。だからそれを消費するのにロリコンやメガネフェチである必要はない

 ……この書き方って、ひょっとしてファウストさんはぼくのこれ(id:izumino:20040124)を読んだ上で東理論と混同しちゃってないか? と思ってしまった。
 まぁ、「シミュラークルである萌え」の向こうに性倒錯を見てしまうのがぼく、データベースを発見してしまうのが東氏なわけで、そこの区別はつけられてる気もするんだけど。つまりぼくの記事が東理論の補強(アテ馬)に使われたということか。


 ところで、ベタな精神分析の言葉を用いると──性倒錯の向こうにはアニマがあり、アニマの向こうには集合無意識がある。この集合無意識こそがデータベースの元であると仮定するのはどうだろう。それならぼくも納得しやすい。
 つまり萌え記号はオタクの認識によって歪められた「元型イメージ」なのだろう。例えば眼鏡ッ娘は知性の象徴だから「ソフィア」元型の記号化かもしれない。ネコミミ元型も多分存在するだろう。水木しげる先生の妖怪千体説みたいなものである。
 そういった、本来神的なイメージを刺激させる筈だったそれらを、なんでもかんでも「萌え化」できる現代のオタクは、まぁ芸達者だなと言ってもいいと思う(オタク全員分を合わせて、水木先生一人分の仕事はしているかもしれない)。


 うーん、モダンが示す「大きな物語」っていうのは、大雑把に言えば「宗教様式」のことなのか?(多分そうだけど)
 宗教が無くなると、それまで様式的に統御されていた元型イメージが各個人のレベルに落ち、それがマスメディア的なイメージ操作によって「データベース化」されてしまう、というストーリーは成立する。例えば「聖母マリア」のイメージが弱くなると、人間は「母親イメージ」を持て余すことになり、マザコンとマザコンのイメージが量産される。また、神は信じませんが「天使」は信じています、という人がアメリカでは多いらしく「天使グッズ」も人気があるらしいが、これは「宗教」からこぼれ落ちた天使的なイメージが民衆の手でマス・イメージに転化された為だろう。
 こういう視点で近代以降の萌えを語るのなら(ぼくの好みの問題だが)解りやすい。