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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

ヒロインたちの顔を共通させることの意味と、その中での描き分けについて

http://twitter.g.hatena.ne.jp/hachimasa/20090222/1235334674

 よそ様のTwitterログまとめに自分が入っていたので、こちらでも捕捉&補足しておきます。


 補足というのは何かというと、今回の議論の前提認識になっている部分ですね。
 先月末にこういう話をしていたことを踏まえて、今回の話に繋がっていました。

八柾ユラグhachimasa ネギまはややもするとみんなおんなじキャラに見えるからなあ。後期ラブひなから噴出してきた問題なのだけど。キャラ数が一定以上になると描きわけが困難になるという。...

Izumiizumino @hachimasa あれは意図もあって似せてる所もあるのです。顔が似ていると「全員が他人という感じがしない」から、って言えばいいのかな。描き分ける、イコール読者にとっての他者を出す、ということになって作風的に向かないという。...

Izumiizumino みんな違う顔をしているような漫画は、浦沢直樹みたいに人間関係のすれ違いを描くような漫画でやってればいいと。でもその浦沢漫画も「ヒロインの顔はどれでも一緒」っていうあたりに描き分けた方がいい顔と、描き分けなくてもいい顔の違いってのがありそうですね。...

steinstein_ 確かに別に全部が全部みんな違う顔をしてなくてもいいとも思う [TWNv230]


 以上の内容は、理論的にスコット・マクラウドの『マンガ学』から影響を受けています。『マンガ学』を読めば、ロジックの根拠や裏付けが理解できるようになる……はず。

マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論
Scott McCloud 岡田 斗司夫

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 ちなみに、赤松作品においてキャラの描き分けが「意図的にされていない」というのは、作者インタビューの発言から推し量れる部分や、制作スタッフから直接聞かせてもらったりした話が根拠になっています。