OPとEDを通じて『ふたりはプリキュア』と国産アニメの「愛と戦争の歴史」について考える試み
プリキュアにおける戦争は、「光の園」対「ドツクゾーン」の単純な善悪二項対立によって描かれている。
だが、「光の園」は人類の善を象徴しているわけでもないし、「ドツクゾーン」も人類の悪を象徴しているわけでもない。それらは地球や人類といった「私達」から遠い場所からやってきたもの同士の戦いなのだ(今の所はそう見える)。
ドツクゾーンは悪の秘密結社でも地球の先住民族でもなく、人間ですらない。現実離れしたこの戦いは、私達からしてみれば何の関係性も無く、つまり「ぶっちゃけありえない」のである。*1
そしてエンディングテーマにおいて「DATTE やってらんないじゃん」と語られることによって、ふたりのプリキュアがこの戦いを柔らかく否定していることが明らかになる。「忘れちゃいけないこと/あるんじゃない?!の!」と。まさにその通りだろう。しかし、そのような「ありえない」戦争に、プリキュア達は「肉体性をもって」身を投じ、干渉する/される。
その肉体の疲労や痛覚は、戦争の事実を消去不可能な痕跡として記憶するだろう。キュアブラックの蹴りは、掃除機の表面に消えない足跡を残すだろう。
何故彼女達は「やってらんない」ことをするのか? 地球のため、みんなのため。それは彼女達にとって重要な問題ではなく、二次的な動機でしかない。
ほのかは「何か面白そうだなあって」となぎさに説明する。なぎさはメップルの泣き落としに負けたり、友人やほのかの為に仕方なく変身する。
例えばセーラームーンこと月野うさぎは月のプリンセスであり、まさしく「地球のため、みんなのため」に戦った愛の人であった。
プリキュアの場合はどうか。戦いはまだ始まったばかりだが。
- 余談
そういえば、この「私達に関係の無い戦争」に「関与する」ということは、丁度イラク対アメリカの「(正義にまつわる)戦争」に日本が関与することに重なるかもしれない。
派遣された自衛隊員達は「DANZEN!ふたりはプリキュア」と「ゲッチュウ!らぶらぶぅ?」を聴くことができたのだろうか。