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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

ネットの感想と、一話単位で語られるということについて

 みやもさん、加野瀬さんのコメント(id:izumino:20040323#c)を参考にして、もう少し。ところでみやもさんというとペーパー・ムーンのみやもさん、でいいんですよね(失礼ですが念の為)。


 コメントありがとうございます。
 考え直してみると、一話単位の感想を述べたいっていう欲求は昔からあったものじゃないかなと。
 ぼくは良く、実況掲示板に参加することやチャットしながらアニメを見ることを、視聴の妨げになるという理由で否定的に意見していますが、このような「リアルタイムに感想を述べたい」という欲求はアニメファンの大体が持っている欲求でもあって、ネット世代だからどうこうということもない気もします。昔から、友達と電話しながらアニメを見るという人達も居ましたし、翌日には作画や演出がどうこうと語り合っていたのでしょうし。
 つまり多くのアニメ視聴者は、感想を述べるチャンスがあれば即座に述べるのが好き、なのかもしれません。*1
 すると、一話単位の感想が今主流なのも自然なのだろうなと。


 あとパソ通時代のエヴァの扱われ方についてですが。
 あの作品の場合は一話単位での演出的/職人的評価以上に、展開予想だとか元ネタ探しとかSF考証だとか、庵野秀明論、オタクの自分語りなどが跋扈していた(らしい? 実際に読んだわけではないので)印象がありますから、「一話単位の感想」はその内の一部に過ぎなかったんじゃないかと想像しています。
 しかしこういった感想の多様さスケールの大きさは、いわゆる「エヴァ現象」だったのであって、当時のアニメファンの視聴スタイルを把握する材料としては適切ではないかもしれません。他の作品ではどうだったんでしょう?


 個人的には、「ビバップ」や「ビッグ・オー」のような、一話完結式がベースの、クールさを強調したアニメが増えたあたりから、アニメはシリーズ全体ではなく一話単位で評価されることが多くなったのではないかと考えています。
 また逆に、「ヴァイスクロイツ」や「ロストユニバース」等が、「アニメというものはその回の制作環境によってここまで崩れることができるのか!」……という「発見」をアニメファンに与えることによって、スタッフの重要性が認識され、一話単位の注目度が高まった、というシニカルな見方もできるかもしれませんね。

*1:ここのぼくの書き方は、「即時的な感想を書く」ことと「演出論に拘る」ことを混同した表現になっててちょっと良くないですね。それぞれは別の楽しみ方なんですが