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少年漫画のエディプスと『ジョジョリオン』のエディプス

2015年6月20日

NHKでやってる『100分de名著』が今、『オイディプス王』の3回目になるんですが、期待通りに面白かったです。オイディプス王のことを何も知らなかったという、伊集院光の反応が面白い」


 漫画もアニメも好きな47歳の大人が、ふしぎと『オイディプス王』は名前も聞いたことがなかったという話ね。


「前回までは、『探偵役が追ってる真犯人を観客は知っているというのは、ミステリとして斬新ですよね!』とか言って、それは『刑事コロンボ』とかで使われている倒叙ミステリですよとツッコまれていたのはご愛嬌でしたけど」


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 その勢いだと伊集院は、エディプス・コンプレックスの起源が『オイディプス王』だと知った時も驚くのではないか? って期待してたんだっけ。


「そう、今回がエディプス・コンプレックスの説明回だったわけですが、その時の伊集院解釈がヒートしててすごく面白い。吸収力と反射力がはんぱないですね。『それって、親から見れば子殺されになりますよね?』と別視点へ瞬時に切り替えながら、『子殺されから逃げたライオス王よりも星一徹の方が偉かった』と、一気に梶原一騎的エディプスの話に繋げていく。この即応力がすばらしい」


 一徹は殺されにくるどころか、息子を殺しにくるから。それが偉いかどうかは別として……。


「梶原読者にしてみれば、梶原の漫画といえば露骨にエディプス・コンプレックスのある面が論じられてきたわけですから。そこへ一足飛びで辿り着く頭の回転の速さはやはり鋭いですね」


 確かに。『100分de名著』における伊集院光は、『教養はまったくないけど頭がいい人』という、この手の教養番組の聞き手として理想的なタレントで、まさに『地頭がいい』を地でいくような人ですね。スタッフもよくぞ抜擢したものだと思うけど、特に過去回では『ハムレット』の回にその鋭さが現れていた。


「主人公視点で解釈してしまうシーンを、悪役の心理から読み解いて、講師すらも唸らせる新解釈を打ち出した、という逸話を残した回ですね」


 そうした『多視点』への切り替えの鋭さは、今回のライオス王の話でもよく活かされている……。
 ところで今やってる『100分de名著』は、『オイディプス王』が後世の物語の原型として、いかに優れているかという観点から言葉を尽くしたものだ。
 さきほどの倒叙ミステリの話もそうだし、エディプス(父殺し)の物語にしてもそう。『自分探し』のテーマだって含まれている。


 そして『オイディプス王』は、エディプス・ストーリーや自分探しの『原型』であるがゆえに、暴力的なまでのアンハッピーエンドを私たちに提示している。
 そんな濃縮された原液を、いかにアレンジして、『いい話』に持っていくかが、後世や現代の作家の工夫だと言ってもいいはずだ。


 そう考えてみると、伊集院が『オイディプス王』から『巨人の星』を連想したように、少年漫画にとって『梶原的エディプス』は避けて通れないテーマではないか……、と再考する意味もあるかもしれない。


 だから例えば、ジョジョ読者にとっても難解な『ジョジョリオン』にしたって、
『父殺しは成立しないが、自分探しは存在するオイディプス王
と解釈するのは、意外と理解への近道……王道となるのかもしれない。
 『自分探しを解決すること自体が悲劇を招く』なんてオイディプス王的な展開は、いかにも今の『ジョジョリオン』で起こりそうな話だしね。


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 そして『父殺しが成立しない』という問題から考えていくと、逆にヒントが掴めるような気がする。
 『ジョースター家の血統』について描いてきたジョジョシリーズにおいて、その血統がここまでぼやかされていること自体がテーマに繋がるのではないか、と。


「ああ、梶原一騎好きな荒木先生の作品から、改めて『梶原的エディプス』のテーマを読み解くというのは面白そうですね?」


 じゃあちょっと分析を始めようか。
 少年漫画のエディプスには多くの表現パターンがある。
 ひとつは『巨人の星』の一徹のように、父親と息子が対決する王道パターン。
 次に『父性を探し求めたのち、その不在を克服する』という、『あしたのジョー』や他の梶原作品に多いパターンだ。


 前提としてだが、梶原一騎の時代ではすでに、『父殺し』が困難な時代に突入していた。倒すべき父性を見出せなかったり、仮に父性との出会いがあったとしても大山倍達のように遠すぎて倒しようのない存在だったりする苦悩が梶原漫画では繰り返される。


 梶原以降の作品であるジョジョでも、この『不在の克服』パターンをずっと続けているんだ。
 付け加えるに、6部までのジョジョシリーズは『血の継承』がテーマでもあるため、親と子の正義は共通しており、直接に敵対することは避けられてきた。
 初めに実の父殺し、義理の父殺しに手を染めるのは『悪』のキャラクター、ディオ・ブランドーだった。
 主人公であるジョナサンもジョセフも、父親を殺害され、父殺しが不能になったところから戦いが始まる。
 ジョナサンは師という第二の父もやはり殺され、ジョセフや承太郎、仗助は父不在の中、母親を守るために戦う。
 不在の父親の代わりに、『母を脅かす強敵を倒す』ことが自立への通過儀礼になっている感じかな。


「仗助の父親はジョセフだから、一応存命だったんですけどね」


 仗助の父親は、肩を貸して支えてあげるような老爺であって、人生の先輩ではあるが、もう乗り越えるとか乗り越えないの仲ではなくなるよね。
 仗助はまだ未成年だから、普通なら父親はもっと若いんだろうけど……。現代だと、若者のモラトリアム期間が長期化することで『若者が自立する頃には父親が老いてしまっている』という問題が生じやすく、先に触れた『父殺しの困難さ』に繋がるわけだが、仗助とジョセフの場合、それが極端な年齢差によって如実に現れた関係だとも言えるかな。


 さておき、第3部はDIOがジョナサンの肉体を乗っ取っているということで、その戦いが『ジョースター家の子孫による復讐』だけでなく、『果たせなかった父殺し』の疑似達成にもなっているのが面白い。
 本来は避けられていた父性との対決が、DIOを通じて行われている、とも捉えられるわけだ。


「なるほど。そういえばジョセフにとってのDIOって、実の父親の間接的な仇でもあるんでしたっけ? でもDIOに対しては『お爺ちゃんの肉体を奪ったやつ』という意識の方が強そうでしたね」


 さすがにジョセフの家庭環境からすると、あくまで『間接的に殺害』でしかなかった父親との因縁は、本人もあまり意識しないんじゃないかな……。
 あと承太郎の父親も家庭を放り出してるっぽいからか、父親が存命してようが承太郎はまったく気にする素振りがなかったね。


「夫が不在のせいか、息子にべったりなホリィさんとの仲は、別の意味でエディプスっぽいかな……? さらにそのホリィを溺愛しているジョセフは、承太郎からするとライバルになるんですかね」


 そうだなあ。それとDIOは、『ジョセフの祖父』の肉体を奪っただけでなく、『承太郎の祖父』ジョセフの血液を奪う存在でもあるんだ。
 承太郎がそのジョセフの血液について、『貸した』ものは『返して』もらうぜ……、と貸し借りにこだわった言い方をしたのは今思うと興味深い。


「なるほど? ジョセフの魂との別れで感情を激しく揺さぶられ、ジョセフの血でパワーアップしたDIOを打ち破り、さらにジョセフを自らの手で蘇生させ、それまで伏線もなかったくだらないジョークを交わしてなごむというくだりは、物語のクライマックスでついに『ジジイ』とのエディプス関係が解消されたという風にも読めるんですかね」


 荒木先生はそんなこと意図してなかったと思うけど、あのオチに何かスッキリしたものを感じるとしたら、そんな理由もあるかもしれないね。
 この『父性を貸し付けたあとで取り戻す』という構造は、こういうさりげない形で描かれると意外とスッと受け入れられる、うまい手なのかもしれないな……?
 最初ジョセフとは、あくまで『いきなりお爺ちゃんと言われてもなあ』という距離感だったわけだしね。ホリィを挟んで『アンタより俺の方が大事に思ってるんだぜ』くらいのカワイイことは承太郎も感じてたかもしれない。


 そして第4部以降の話だが、乗り越えるべき父性が不在のままだと、憧れの理想を父性の代わりに求めることになるようだ。
 しかし仗助にとっての憧れのリーゼント男は不在で、ジョルノにとって憧れだった『謎のマフィアのボス』もやはり不在の位置に隠れてしまう。


「第5部はあのマフィアのボスが黒幕だろう、なんて予想をみんなしていましたけど、今日のこの話の流れだと、逆にそういう対決にならないあたりが現代的なんでしょうか」


 そうかもしれない? 第4部も第5部も、親子の対立はラスボス(川尻やディアボロ)の親子関係に預けられていくんだよね。
 第4部だと、父親を殺そうとしてできなかった虹村兄弟とか、息子に始末されてしまう吉良父とか、ジョースター家以外の親子関係は思ったより殺伐としている……。


 続いて、第6部のジョジョは女性だけど、徐倫もやはり父親を喪ってしまう。ちなみに承太郎が家庭放棄気味だったのは、彼自身が『父親』をよく知らずに育ってしまったからなんだろう。
 そして徐倫と承太郎の間には確執こそあったものの、心を受け継ぐという点では、対立ではなく『ジョースターの血の継承』がきちんと行われていたと言える。


「第6部は、父親を奪われてから取り戻す、そして敵に殺される……というパターンになってて今までの集大成っぽいですね」


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 そして一巡後の世界……第7部においては、ジョニィは父親に見捨てられているが、どちらかというジョニィのトラウマになっているのは兄のニコラスの不在だった。
 父親は立派な大人ではあっても、調教師とジョッキーで職業も違うし、ジョニィが心で争っていたのは『不在の兄』の方だったはずだ。だから、父性の代わりというよりは兄貴分に近い存在としてジャイロが現れ、ジョニィを導く師の役になっている。


「ああ、第1部のツェペリさんよりジャイロが若いのはそういう意味もあるのか」


 生きている父親よりも、死んじゃった兄の方が後悔を引きずるだろうから。
 兄に生きててほしかったという感情が、後に『ジャイロが生きててほしい』という感情にも重なっていく。第1部のジョナサンが父性を二度失う代わりに、ジョニィは兄貴分を二度失うことで自立していくんだ。


 第7部で面白いのは、ヴァレンタイン大統領の方が『父親の心を受け継ぐ立派な息子』としてジョニィと対比されている点だろう。
 悪役を正義であるかのように描くというのも第7部のコンセプトだったが、一巡後の世界においてジョースター家の血統は特権性を失い、むしろヴァレンタインの父の方が『短命の運命を持った立派な父親』のように美化されているわけだ。
 その後、ジョニィは自分を応援しにきてくれた父親を見て兄へのコンプレックスを解消させるが、父親の出番はそれだけで終わったりする。


「あのお父さんってなんか人柄を信用できないというか、『あの後でレース失格になったジョニィをまた見捨てるんじゃね?』と想像していた読者がいたのも面白いんですけど、実際ジョニィもサラッと親離れしてますよね。レース後に挨拶もせずヨーロッパへ出掛けてそうだし」


 では第8部の『ジョジョリオン』はどうだろうか?
 親探し(家系図調査)と、自分探しの物語であるのは確かだから、『倒叙ミステリじゃないオイディプス王』という読みはけっこう悪くないと思うんだ。
 そこに家父長制の東方家、母性を表す広瀬やホリィなど、エディプスを象徴するパーツは集まっているものの、まだ組み方がわからないジグソーパズルみたいな感触かな……。それにしても難解だ……。


「ところでさっき気付いたことなんですけど、DIO化したジョナサンが孫たちに倒されるというのは、第4部で川尻父が川尻息子に追い詰められるという構図で繰り返されてますよね」


 ああ、確かに。悪役に乗っ取られる父性というモチーフか。


「だからやっぱり、川尻息子やボーイ・II・マンの話は第4部で突出して熱いというか、王道のエディプスに近いというか」


 ボーイ・II・マンに対しては、岸辺露伴に『まるで劇画』って梶原を意識したようなことを言わせているくらいだからね。大人に歯向かうことで自己形成ができていくという、古めかしいビルドゥングスロマンがそこにある。


 私は、そのボーイ・II・マンのテーマは第7部の『マンダム』(リンゴォ・ロードアゲイン)まで繋がっているから好きなんだ。
 でもこのふたつの違いは、たぶんリンゴォも最初は『大人を倒して強くなる』みたいに思ってたのが、自分が大人になったときに困ってしまい、倒す価値のある相手の基準として『漆黒の殺意』とかよくわからない理屈をひねり出し、エディプスと関係のない『男の世界』を作り上げたところにあるんじゃないだろうか。


「その話、リンゴォの狂いっぷりが強まってていいですね」


 リンゴォの言う『昔の男の世界ははっきりしててよかったが今はそれが難しくなった』というのも、あれは『自分が若い頃は大人を倒せばよかったからはっきりしてたが、自分が大人になると何をすればいいのかわからなくなった』という単純な加齢の話だと思えば、急に面白さとクレイジーさが増すぞ、いいな。


「やはりリンゴォは良キャラですよ。そんな屈折をしてたやつが、同じくエディプスに悩むジャイロを決定的に変えるきっかけになったというのも想像すると熱いです」


 ジャイロの話に戻ったところで、ツェペリ家の親子の話も復習しておこう。
 まず、第2部ツェペリ家のシーザーは、父との葛藤から喪失を経て、父を否定するのではなくツェペリ魂を継承する。こちらはジョースター家の血統と似た関係だ。
 第7部ツェペリ家のジャイロも、父との確執を経験しているが、それを解消することはなく、ジョニィの師となることで生を全うする……。このジャイロでやったエディプスのかわし方が特に面白いかな?
 これまでのジョジョでは、エディプスのない人間関係において、男が成長するために仲間や強敵との友情――ブロマンス(Bromance)的な『男の世界』の戦いがうまく用いられてきたと言える。


 だが第8部『ジョジョリオン』では、女の子や女装ショタの方が定助と親しくしてるくらいで、『男の世界』は奪われている。
 というよりも、吉良とのブロマンス関係すらも『喪ったもの』として描かれている、のか……?


「あ、それは連載ネタバレの話ですよね」


 そう、今の連載の話なんだけど、『吉良』と『空条』の関係が、『今までのジョジョなら当然ありえたはずの』ブロマンス関係かもしれないと仮定し、それが『喪われた』状態に主人公が置かれている……、という読みはかなり面白いんじゃないかな。


「その吉良の代わりに与えられてるのが、あの東方家の奇妙な男たちなのか……」


 それにしても『ジョジョリオン』は、たぶんこんな風に、『何があるか』よりも『何が喪われているか』から考えてみた方が、ジョジョシリーズとして読むには楽しめるのかもしれない。


 あと、第7部から通して感じるのは、『ジョースター家の黄金の血統』が意味を持たなくなった(=徐倫ジョジョではなくなってしまう)一巡後の世界においては、『ジョースターの血統を受け継ぐ』こと自体がもはや祝福となりえないのではないか、ということだ。


 親からの継承を断念し、むしろ継承自体が自立の邪魔にもなるかもしれないと覚悟することが、一巡後の世界のテーマになっている、と言うこともできるかな……?


 荒木先生も元々は、第1部から第3部までの構想について『先祖のしたことが子孫に襲ってくる恐怖』を描きたいと語っていたが、それはジョースター家に因縁をつけたDIOが悪者だという話でもあって、短命の宿命こそあれ『ジョースターの血統』は黄金の道とされていたわけだ。
 しかし『ジョジョリオン』では、その血統を『呪い』のようなものとして位置付けているらしい。
 この『血統の恐怖』と『血統の呪い』って、微妙に意味が違うんじゃないかな、と。


「それはぼくも、最初聞いたときに『おや?』と感じたところでしたね。主人公、つまり正義の味方の血統なのに、呪いなんだ?っていう」


 いや、私はどちらかというと、一巡後の世界のジョースター家は『正義』の立場を失って、相対化されていたと考えていたんだ。普通の家系になったんだろうなと。
 でも今日思ったのは、ジョースターの血統が無効化され、単に力を失った世界なのではなく、血統の支配力は残されているということかもしれない。
 つまり正義を失い、しかし血統の力だけは存続しているそれをかわして自立することが、『一巡後の世界』の課題になっているのではということだ。


「ははあ。少年漫画でよく言う、主人公の親の血筋が、みたいないちゃもん話がありますけど、それへのカウンターは『平凡な普通の生まれ』という設定ではなく、『親や先祖がろくでもなくてあまりいいことがない』でもいいのだ、ってことかもしれないですね」


 そうだね。親の七光りが強すぎると子の人生は苦労する、というのが普通なのだろうし。
 そのように、必ずしも『血統』を肯定的に描かなくてもいい、否定してもいいという考え方の変化は、きっとイーストウッド映画……『グラン・トリノ』あたりかな、そちらの影響も荒木先生の中では強いんだろうな。


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「エディプスをどうかわしていくか、というのが現代の作家の工夫になっている、という話もそこに繋がるんでしょうね。世代間の葛藤……つまりエディプス・ストーリーだけでなく、周囲の関係性の中から自立を目指していくような話は、気持ちがよさそうですね」


 じゃあ次は、『カレイドスター』や『アイカツ!』などにかけて、少女アニメの世界にも梶原的スポ根のエディプスが存続していたのに対して、『アイカツ!』があかりジェネレーションに入って以降、世代間の戦いをほぼ抜きにして『女の子の自立するロールモデル』を描き続けているのが面白い、という話をしたいかな。


「少年漫画の次は女児アニメですか。いいですね、ではまた」


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