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決着…ではなく新スタートの『School Rumble』22頁/今週のスクラン(♯217)から

izumino2007-03-20

 本題へ入る前に、まず先週(♯216)のおさらいから。いつも通り9頁しか無く、完全に「今週への前振り」だったことが解ります。(多分)KC18巻の冒頭に入る回ですし。


 この時点での八雲は、「沢近が天満に対して済ませた葛藤」を情報として持っていなかった、というのが心理的な解釈の上では重要です。「八雲が知ってる沢近」「天満に敗北する前の沢近」だから、現在の沢近とは違う内面を想像してしまうことになるわけで。……つまり「誤解」になってしまうと。


 ちなみに(本当はとても優しい人――)という評価は、具体的には「雪の日に伊織(中身は八雲)に気を遣っていた沢近」あたりがその印象の出所なのでしょう。

(♭43)


 しかし、↓のようなタッチで描かれた「沢近の表情」が作中に登場したことはありませんし、八雲が目にするチャンスも無かった筈(と思います)。


 すると、完全に「八雲が想像する優しそうな沢近」の図なんでしょうね。

♯217

(情報量的にはそれほど濃くない回なので、普通に思ったことを書いています。)


 さて、シリアスから一気にコメディに転換した♯217です。
 と言っても、沢近編自体がコメディから始まっていたという事実もあるわけで。

(♯196)


 コメディから、やがてシリアスに沈み込んでいくのがスクランの作風ですが、やはり根本的な所ではコメディなんですね。


 それに、一般読者にとっては今週の話を読めば(取りこぼしが非常に大きいにせよ)、大体の事情が飲み込めるエピソード構成ではあります。
 ここから連載のストーリーに入っていくこともまぁ可能だろうし、新規読者の獲得や、旧読者のUターン(回収)を編集サイドとしては狙っているのかもしれません。まぁ、週刊誌の連載ではたまに使われる手法ですね。
 その分、心理面ではかなり大雑把な、コミカルでカリカチュアされたストーリー仕立てになっていて、情緒的な情報はスポイルされている傾向を感じます。今までのストーリーがあやふやな人にも「コメディとして読める」ようにしているわけですから、当然といえば当然ですけど。


 こういう所で情報量のバランスを取らないといけない所が、「一般向け大衆紙・マガジン」スクランを連載することの妙さ加減――難しさであり、面白さでもありますが――の窺える所です。


 ちなみにマガジン巻末の作者コメントを読むと、今回はかなり担当編集者の意向が働いているっぽいので、「読者を連載に注目させたい」という意図あっての22ページ掲載だったんじゃないか、という読みもあながち外れてないんじゃないかと。


 ともかく、「決着」という予告や「一旦おさまるのでした――」というフレーズは表向きのもので、要は「ここから読んでついてきて下さいね」ということなのでしょう。

♯217 / 播磨

 「シリアスからコメディへ」という転換と同時に、「沢近・八雲視点から播磨視点へ」という転換も今回のキモです。


 22頁が三者の視点で描き分けられていて、おおよそ播磨18.5頁八雲2.5頁沢近1頁の割合といった所。
 今まで沢近にボケ役を回していたツケが、播磨に帰ってきた感じです。そもそも沢近編というのは、主人公としてボロついていた播磨が「これ以上ボケ続けるのは厳しくなってきたから沢近に主役を譲った」という側面が大きかった筈ですが、これで「主役」の座を返されるのと同時に、トドメを刺されて完全にボロった、という……。


 ですから、今回のオチを「仕切り直し」……という言葉で説明されることもあるでしょうが、仕切り直しというのはかなり不正確な言葉でしょうね。
 播磨の主観としては「モテ期」(※自称)が終わって廃人(スクラップ)になるまでの過程が描かれているわけで、「そうした事実」は当然、次回以降も継続するでしょうから。仕切り直すんじゃなく、思いっきり次に繋がってる展開でしょう。
 なんだかんだ言って、修学旅行の頃から「まだ俺は天満ちゃんに好かれている」と思い込んでいた播磨にとってみれば、比喩的とはいえ「天満に見捨てられた」回なわけですしね。


 ところで、本人の主観としては「モテ期」が終了している播磨が、客観としては「八雲にだけはまだ好かれている」構図があるわけですが……、流石にこの段階で「そこ」を強調してしまうとお話にならないので、八雲のシーンは(絵柄的にも)薄めに描かれていることに注意してみてもいいかもしれません。


 通常の少年漫画ラブコメ*1と異なり、スクランが「主人公*2は誰とくっつくか」をボカそうとするコンセプトの漫画である以上、何かが決定打となるようなことは、最後の最後まで無いでしょう。むしろ「読者に決定打と思われてしまいそうな描写*3を、わざと抑えて描く」ような所に、作者サイドの苦労が読み取れると思います。
 こういった手綱の取り方は編集者のコントロールなのかはわかりませんが、なかなか慎重な様子を感じさせますね、特に今回は。

♯217 / 八雲

 ♯216についても言及したように、八雲がした「沢近の気持ちの代弁」は誤解に基づいています。「情報不足が生む誤謬」というものでしょう。
 まぁ八雲がやってしまったことは、沢近にやられた「それはこのコよ。」(KC7巻♯87)とでトントンでしょうし、勝手なお節介という意味では、天満が良くやっていることと似たような行為でもあるでしょう。


 元々、姉も「片想いしてる人」と「その人に片想いしてる人」を同時に応援してしまうタチなんですが*4、八雲も「烏丸を好きな天満の気持ち」「その天満を好きな播磨の気持ち」の両方を尊重していたわけで、恋愛音痴なのは姉妹揃ってのことかもしれません。


 今回、更に「その播磨を好きな沢近の気持ち」まで尊重したというのは重傷だ……と言えばそうかもしれませんが、本人としては自分のやり方(=片想いだろうと他人の気持ちは尊重する)に対して素直になったということなんでしょう。それ以外の方法、他の駆け引きができる性格でもないでしょうし。


 それでも、ふっ切れた直後に「あ、何かやり方を間違えたのかも……」というような情報が入ってくるわけで、一筋縄にはいかないということですね。八雲の、こうした性格の問題も、ちゃんと解決されればいいのですが……。

♯217 / 沢近

 播磨に向かって呆れはしても、「天満のことが好きなんでしょ」とは言わなかったんですね、沢近は。フられる前にフりたいというプライドなのか。


(KC3巻♯34)

 「勘違い*5から始まる恋」が「相手への理解*6」を経ることでモノの見事に終わったわけですが、逆に言えば「勘違いでない人間関係」(それが恋愛感情かどうかは問わずに)がこれから育まれるということでもあるでしょう。しかし3巻の絵柄を見比べてみても解りますが、沢近はホント大人に成長してますね。


 「誤解の連鎖」をそのまま放置することで愛情が深まっていきがちなスクラン世界の中において、沢近は誤解を放置できずに「相手への理解」を求める探偵役のキャラクターでもあったわけですが、それがむしろトラブルを生み続けてきた……という播磨との関係は、なかなかコメディらしいコメディだったと言えます(そのコメディの一方で、同性の親友らとはシリアスに絆が深まっているという対比もあって意味深い所です)。


 そういえば、播磨の「自意識過剰でごめんなさい」っていうのはそのまま沢近にも当てはまる話なんですよね。単に沢近は、自爆する寸前で停車できただけで(笑)。
 その点やはり、「沢近のボケ役を肩代わりしてやった」「奪った」形になってますね播磨は。そこは流石に主人公の役目というか。


 あと解釈を付け加えるなら、沢近はイライラの正体を自覚してないので「芝居中にイライラしていた気持ち=何らかの播磨への興味」は一応何か潜っているのでしょう。気分的には、まさに憑きモノが落ちたような感じでしょうけど。
 ♯215の時点で表していたような、「最後まで見届けてやる」的な意気込みは見事にガス抜きされてしまった形ですが、「播磨の強さ」については今後どう確かめる? という問題は残っています。沢近としてはここで成長を終えて、家庭問題と戦わなければいけないでしょうしね。


 それにしても「相手から好かれないと恋愛にならない」という恋愛観を貫いてる所が沢近らしいと思う所で、沢近編で沢近は凄くいいキャラになったと思います。

♯217 / 最後に

 サブタイトルの「UNDER SIEGE 2」はスティーヴン・セガールの「暴走特急(原題:Under Siege 2)」から。


 「梅の香り」は春の訪れの季語。
 次回は、天満が談講社に漫画を持ち込んで、ジンガマ編集部で烏丸とばったり出会ったりするかも、と思ったり。そこから話が動けば、かなりスクランの核心部分に影響が出てくると思うのですが。


 ところで沢近は「原稿」という言葉をあっさり使ってますね。播磨に原稿を手渡した東郷もそうなんですが、播磨の漫画については舞台裏でもうバレちゃってる?


 原稿の中身を見ると、相変わらず作者自身と天満をキャラにしているわけなんですが、ジンマガの編集長的にはオッケーなんでしょうか。ちょっと気になります。*7

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追記

 マガスペの『School Rumble増刊号』読みました。
 2バージョン存在する、さだまさし「雨やどり」の歌詞(BGMが鳴るので注意)と合わせて読むと、かなり胸にきます。
 この「私」は八雲そのものですし、彼女が望んでいる人間関係を表しているんでしょう。
 その上で、榛名が歌詞における「あなた」になっているのでしょうね。


 これは去年の五月に相当するエピソードということで、スクランをその時期から読み返したくなってきました。てっきり八雲は、サラを通じてしか友達を作れないんだと思い込んでいたので、作者からこういう「解釈」を提示されたことは重く受け止めたいなと。


 

*1:「正ヒロイン」を明確化しておいて、読者に「安心」と「予定調和」を与えなければならない形式

*2:天満と播磨

*3:それが読者の誤解であれ、正解であれ

*4:今鳥と一条を同時に応援していた時など

*5:相手に想われていた

*6:実は想われてなかった

*7:天満に読ませる為の漫画は載せられなかった筈