雑誌『KINO』Vol.1……と余談
話題としては出遅れ気味ですが、京都精華大学の漫画評論誌『KINO』創刊号を読んでみました。
KINO Vol.1 | |
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編集部やライター陣の方針は不明瞭な部分も多いながら(特に「メガヒット」というフレーズが一人歩きして浮ついている部分。『マンガ産業論』的なアプローチがあれば良かった)、現役のヒット漫画家や編集者のインタビューが豊富なので、そういう箇所は興味深く読めました。
ここでも浦沢直樹は大活躍。評論誌の定番作家みたいな感じですな。
ところで「作品は作品であって、大ヒットするかしないは関係が無い」みたいな考え方もあるでしょうけど、ぼくは大ヒットが作品に大きな影響を与えることがしょっちゅうあると考えています。
例えば、読者の感想ひとつとってもそうで、ありとあらゆる層の読者から何百通も手紙が届いたら、普通、作者は感極まるかどうかしますよ、っていう些細なことでもそれは言えると思います。
で、そういう目に見えない力のバックアップが無いと描けない漫画のスケールというのは、必ずあります。「自分は凄いことやらされてるんだ」っていうプレッシャーによって新人が上手くなっていくという「言い伝え」も、実例を挙げていけば、ただのジンクスどころか「事実」と言い切ってもいいくらいでしょう、きっと。
元サンデー編集者である三宅克のコラムは、そういうことを書いてる気がしました。
で、我ながらいやらしい読者だな、と思いつつ、ネギまの書評が載ってる所をチェック。
って、おお……ここまで事実を誤解無く捉えた上で、しかも好意的に扱ったレビューって初めて読む気がする!
誰が書いたのだろう、と思って調べてみたら野中モモ(id:Tigerlily)さんでした。
これって、ウチの赤松健論のような記事を、ちゃんと下調べしてからでないと書けないレビューだと思うので、こういうのは、嬉しいです。
それで、少し細かい話なんですが。
とはいえ、流行りの要素を集めさえすれば売れるというのなら話は簡単だし、そのような狙いで作られた作品のほとんどは不発に終わる。『ネギま!』が実際に数字を出しているのは、やはりそこに抜群の技術的洗煉があるからに他ならない。
他にも「天才型ではないが大衆娯楽を追求する職人」、「丁寧な仕事」という評し方がされてますね。
言葉選びに悩む所で、この中の「洗煉」というフレーズはちょっと扱いが難しい。赤松さんはスマートに完成された職人というよりも、もっと泥臭くて、創意工夫と試行錯誤を繰り返している、実験好きな職人というイメージでぼくは見ています(本人の自己評も含めて)。
むしろ「洗煉」を感じるのは、例えばあずまきよひこのような作家ですが、どちらかといえば彼は天才型であって。そうではなくて、洗煉の足りない、悪く言えば凡人臭さっていうのが赤松健の漫画にはあると思います(で、赤松健を「ただの人」では終わらせない非凡さ──というのはもう少し違う所にあるような気がしています)。
あえて評するなら「研鑽がある」ですかね?
天才と秀才を語ることについて
以下は余談ですが、人間が使う「天才」「秀才」という言葉のイメージは相当実体から離れていて、言葉で言ってもその実像は掴めないと思った方が良い、と最近思うようになってきました(それでも便利だから使うんですけどね)。
天才的な人間の方が、洗煉された技術を手に入れやすい。オールラウンドな才能を発揮しやすい。
凡人が努力すると、どうしても荒削りな技術しか手に入らない。結局スペシャリストにならざるをえない。
そういう逆説はあると思います、というか、ある。
例えば「万能」と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチは、天才なのか秀才なのか。いわゆる「秀才化した天才」なのかどうか。
つまり、「スペシャリスト型の天才」と「ゼネラリスト型の天才」というのは両方居て、どちらにも秀才や凡人は敵わないと。
秀才はゼネラルを目指せば勝てる! というのは「天才はゼネラルなことができない」という無根拠な前提に依存した希望的観測に過ぎなくて、その前提を覆す天才は実際に居るわけです。
アベレージを目指せば勝てる! というのも同じで、これは野球の話ですがイチローのようなスーパー・アベレージ・ヒッターは居ます。
じゃあ、秀才っていうのはなんなんでしょうか。「苦手なことでもやれる」「人に合わせられる」のが秀才の資質かもしれませんが、「努力の天才」や「人に合わせる天才」というのもやっぱり居るわけで。
突き詰めた所には「何の天才なのか」という問いだけが残ってくるような気もしてくるわけです。
ぼくは天才や秀才の生き方を見るのが大好きで、こういうことは意味も無く良く考えています。
以前なんか、「狂ってるのが天才、狂うのが秀才」みたいなことを書いたりもしたなぁそういえば。