プリキュアシリーズにおける「日常>戦い」のバランス
確証のない噂を信じることもないのですが、もうじき最終回となる『スイートプリキュア♪』のストーリーは、途中から(震災に配慮して?)路線変更されている……と言う人を見かけました。
(※震災の直接の影響としては、本来49話予定のエピソードからまるまる一話ぶん抜けてしまったという不可抗力はありましたけど。)
- 追記:見かけた意見のソースは『アニメージュ』2012年2月号のスタッフ対談だったようです。ただし、どんな変更が行われたのかはわからないと思った方が良さそう
元々の予定だと、響と奏は当初のコンセプト通りに、もっとケンカを続けているタイプのカップルだったと。(※追記:というわけでこれは憶測かと。)
……そのはずが、ふたりのコミュニケーションが減少するとしたら、ケンカしてなきゃ奏の意思は響ひとりでも代弁できてしまうんですよね。「そもそも似たもの同士」に映る性格設定からすれば。
おかげで響がソロの主人公で、奏が脇役のような関係にもなっています。
しかしまぁ、これが予定されたストーリーからの「路線変更」かどうかはともかく、結果論として「当初のコンセプトから少し外れていった」作品だという指摘は妥当だろうとぼくも思います。
「戦いと日常」が融合するストーリーの希薄さ
コンセプトという意味で『スイートプリキュア♪』は、歴代シリーズの中で、おそらく一番「プリキュアの戦いと日常の融合」が薄いシリーズになっていると思います。
ドラマ畑の脚本家である大野敏哉をシリーズ構成に招いておきながら、セイレーンとハミィ、キュアミューズとメフィストのような「異世界の関係性」に大きく尺を取ってしまっていたあたり、なにかしらシリーズ構成への横槍はあったのかなあと勘ぐってしまうのは仕方ないところですね。
(※キュアビートとキュアミューズの物語そのものは、それ単体で切り取ってみれば魅力あるストーリーだったと思います。)
今までのプリキュアでは、ヒロインそれぞれに守りたい現実や将来の夢が優先的にセットされていて、「こんな戦いなんてとっとと終わらせて現実の生活に戻りたい」「プリキュアの戦いは自分の夢のついで」と言わんばかりな、「日常(夢)>戦い」という、「リアル生活の片手間感」がベースになっていました。
しかしメイジャーランド側のドラマに比して、ヒロインらの生活/夢に関するドラマはさほど同時進行的に描き込まれず、メインストーリー(=ラストバトルに至る流れ)と密接に関わってきませんでした。
例えばSS、5、フレプリにおいて、部活動やダンスレッスンが「ほぼメインストーリー化していた」構成と比べればわかりやすいでしょうか。
男の子のアニメなら「悪いやつが悪いので倒す」にドラマが偏ってもいいんですけどね。
男の子は基本的に「戦いが好き」だからでしょう。動機は「悪と戦いたい」が先行してもいいんですよね。
しかし女の子のアニメなら「守りたいものを守るために悪を倒す」という、「守るべきもの」に傾いた動機がドラマに必要になってきます。
女の子は根本的なところで「戦いが嫌い」だといえますから、「女の子だって暴れたい!」を表現してきた女児向けアニメとしては、「日常>戦い」というバランス感を重視してきた歴史があったんだと思うんです。
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