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ネギま!感想クリップ/ヒーローを目指す者はヒーローと異なる道を歩む

ネギま!感想クリップ 204〜205時間目(アセティック・シルバー)

ヒーローを目指す者はヒーローと異なる道を歩まなければならない(物語三昧)

 最近のネギまの話です。
 とりあえず、アセティック・シルバーのはしさんの記事を読んでみてください。
 ネギが、(ナギと同じ光の道ではなく)自らの本然に従うべく「闇の道」を選ばなければならなかった必然性について語ったものです。


 なんというか、素晴らしいですね。
 以下、mixi日記に書いたことに少し手を加えてアップします。



 この、「ヒーローを目指す者はヒーローと異なる道を歩まなければならない」という原則は、結城忍という男がぼくに向かって説いたことがきっかけで、《少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:ラブひな編》という記事を書くことになり、その考え方を代弁する形で公開された。発表当時は多くの人から支持を受けられたし、ここだけの話、作者サイドに熱意が伝わることで原作にフィードバックを流しもした概念でもあるのだ(これは半分くらいは本当)。

少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:ラブひな編(2/2)

 だからこそ少年漫画の主人公は「師匠とは異なる道を辿ってヒーローを目指す」必然性がある。師匠とは異なる才能を活かすなり、異なる手段で努力するなり、キャラクターとしての本質が異なることをはっきり読者に示すことで初めて、主人公は読者にとってのヒーローとして共感されうるのである。

 特にぼく自身が率先して記事を書いたりしなくても、この考え方を汲み取って受け入れる用意が読者の中にあるようだし、ブログで自然に言及されたりもする。

 はしさんは言うなれば結城さんの孫弟子にあたるわけだが、当然だけどこの二人は、面識を持たないどころか、なーにも接点が無いのだ(笑)。
 なのに、結城さんの考え方が、はしさんを動かして、更にそれが誰かを動かすかもしれない。
 ここで見ることができるのは、あくまで小規模な現象ではあるけど、「伝播」というのはこういうことを言うのだろう。そう実感できるのは素晴らしい。

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 世の中っていうのは、つまらない言葉や、どうでもいい言葉ばかりが広まりやすいように出来ているから、こういうのは余計に感動を覚える所がありますね。


 またこの所、『Fate/Zero』を読んで、そこから遡って『空の境界』における「起源」の概念を再発掘し、更にサン=テグジュペリの『人間の土地』を読んで「本然」という言葉を知り、(それで元々好きだったスピノザの思想にも合流するのですが)「人間は自分の本質に従わなければならない」という考え方を深めていましたので、今のネギが「目先の利害だけで判断するよりも“自分の本然に従うかどうか”を優先する」という道の選び方をしていたのは、どこかシンクロニシティを感じることでもありました。


 ネギにとっての本然(本質)は「闇の道」である、という選択に担保を与えているのが千雨の言葉ですね。

http://www.websphinx.net/manken/hyen/tree.cgi?hdl=vi&root=hyen0222.html漫研

GiGi >> 一番興味深いのは千雨が、その選択を良しとしたことだったりしますね。それはつまり千雨から見てその選択が「ネギにとっても」一番リスクが低いと判断したと言うことですから。

(中略)

ここでのポイントは千雨が闇を選ぶことを肯定し、背中を押している点ですなんですね。この選択がネギ自身のリスクを最小にすると言うことを、千雨は理解してるんですね。そしてそれはネギと千雨の間でしっかりと了解が取れている。

 こうした「自分の本質との向き合い方」というのは、『テニスの王子様』など、どんな少年漫画でも最終的には到達せざるをえない境地で、その概念をかなりの極限まで描いていたのが『Fate/Zero』や『空の境界』でした。

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 なんか素晴らしいですね。
 少年漫画話のついでに、トラバを頂戴した他のサイトも紹介しておきます。
 『ダイの大冒険』と、少年漫画における「敵」と「ライバル」の違いについて。

toruotの日記

バーンはきっと、力を身につけるために努力が必要ならいばくらでも努力するだろうし、努力しても力が身につかないのならばまったく努力しないだろう。そんな気がする。

少年漫画文法的には、主人公サイドが積み上げてきたものを、根底からブチ壊す存在を登場させて、それをなお「積み上げてきたもの」によって打破するという展開はお約束の範疇

「少年漫画の敵は、常に主人公の価値観を破壊するという試練を与える存在である」という基本文法

「天を左右できる力」を持っているという点では、ダイもバーンも変わらない。ただその力をいかに使うべきかという“価値観”において、両者は異なる。

そういう意味で、「同じ価値観の中で競い合う存在」というのは、少年漫画的には「敵」ではなく「仲間」なんですよね。「強敵」と書いて「ライバル」とか「とも」と読む感じ

物語後半のハドラーはまさに、「強敵」と書いて「ライバル」、「強敵」と書いて「とも」。それは価値観を共有していたから。

 これ、当のアイシルにしても、最初は価値観を破壊してくる「敵」として白秋を登場させていたのが、栗田が峨王の暴力を昇華して取り込み、ヒル魔とマルコが互いを同類扱いし、最終的に「ライバル」として認め合う関係を成り立たせているからたまらんですね。
 「敵」がいつまでも「敵」のままでいるとは限らないのがジャンプ文法。


 だから、ジャンプ三原則のひとつ「友情」っていうのは、一般的に「ライバルと戦った後に友達になる(=戦わなくなる)」というニュアンスで捉えられていると思いますが、もっと広く言えば「敵だった相手とライバル関係になる(=同じ価値観で戦う)」という展開も充分に「友情」なんです。

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