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バトル漫画論・続き/それは少年漫画を読んでいないのと同じ

 海燕(id:kaien)さんから、昨日のテニプリ話について。

なるほど。ぼくは「テニプリ」は途中で投げ出してしまったのでよくわからないけれど、ネットで感想を読むかぎりでは、むしろ王道のバトル漫画に思えますね。

 これは見た目通りの印象を受け取っている、ということでいいでしょう。
 ちなみにぼくが再注目しはじめたのは四天宝寺戦(特に不二白石戦)あたりからなので、それ以前の展開がどうだったかはあまり記憶に残っていません。

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 ぼくの場合、『キャプテン翼』にかんしてはだいぶ記憶があやふやなんですが、『リングにかけろ』はやはり少年漫画を代表する大傑作だと思うんですよね。


 たしかに、ここには一般的な意味でのドラマツルギーはない。しかし、その一般的な作劇論を無視したストーリーテリングは、いま読んでもやはり強烈に印象にのこる。


 剣崎がプロになってからの話は本当に素晴らしくて、車田正美という天才肌の娯楽作家のキャリアのなかでも、最高傑作と呼ぶにふさわしい熱気があると思う。

 たしかに「リンかけ」はボクシング漫画を逸脱してギャグ漫画じみていたかもしれない。しかし、ここに至ってギャグ漫画をも逸脱して何かべつのものにまで進化している。

 ここなんかの記述は、実にまっとうな「少年漫画評」たりえてると思うのだけど……。


 悲しいかな、こういう「少年漫画経験」を通してテニプリを読めない読者が今は多いのかもしれません。
 問題は、荒唐無稽タイプのバトル漫画の良さを説明したい時に、昔の少年漫画を挙げてみても「その昔の漫画の面白さをわかってもらえない」という点にもあります。


 もし「テニプリはギャグでしかない」と言いたい人が居たとしたら、まず『リングにかけろ』(斜に構えて読めばギャグ、しかし間違い無くジャンプ誌上に残る傑作)との違いを明快に語るべきだ――。海燕さんは大体こういうことを仰ってると思います。


 勿論、テニプリリンかけは完全にイコールという筈は無くて、テニプリには現代的仕掛けが多く含まれていますし(特にキャラの多さ、連載期間の長さなど)、車田正美とは異なる資質のセンスで許斐剛は描いている筈です。*1
 しかし、「楽しみ方」の基本ラインは殆ど同じだと言っていい。
 何故なら、そこで描かれているのは「象徴化されたシンプルなバトル」だから。「シンプルなバトルの面白さ」というのは、作品が変わってもあまりブレないものです。


 これに対する反論があるとすれば、


テニプリリンかけのように楽しめない理由は、これこれこういう違いがあるからだ」


という根拠を明示するか、あるいは


リンかけは決して傑作などではない。ただのギャグ漫画だ」


と言って、ジャンプの源流の一つを根本から否定するか、のどちらかになるでしょうね。
 でも後者を理由として挙げる人は、何より少年漫画をまともに語る資格が無い、と言っていいと思う。


 ちなみに海燕さんの「のちの『聖闘士星矢』にはこの凄絶さはありません」という評し方はちょっと面白いと思っていて、普通、車田ファンにとってはリンかけも星矢も「鎧を着てるかどうかの違いで、やってることは同じ」的に言われることが多いと思うのですが、最初から「神話世界のバトル」だった星矢と違い、一応「現実からのスタート」だったリンかけには独特のパワーがあるということでしょう。


 ぼくもその構造を踏まえて「テニプリの次回作として、鎧を着たティーンエイジャーが飛び道具でケンカする漫画を描けばヒットすると思いますね!(しない)」と発言していました。
 テニプリの面白さとして、「建前上は公式戦をプレイしている」という異常なシチュエーション性が意味を持ってることは疑いないですし。


 あとちょっと思うのは、「おもしろおかしい漫画」と「バトル漫画」を相反する要素としてみなしている読者が多いのではないか? ということ。
 テニプリも車田漫画も「おもしろおかしい漫画」であり、ぼくもそういう読み方をします。それと同時に、全く矛盾せず「バトル漫画らしいバトル漫画」として成立しているということです。


 しかしあれですね、後はフタゴ・フラクタ(id:rindoh-r)のリンドウさんの見解をお訊きしてみたいかもしれません。

*1:むしろ全く似たものを描いてしまったら、その方が問題