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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

絶望先生は少年漫画か?

 このサイトでは、少年漫画の定義を勝利を目指しつづける限り少年漫画であると提唱しているわけですが(前置き)。
 極端な例を持ち出すと、『デビルマン』の不動明はラストで飛鳥了に負けますし、努力も友情も勝利もへったくれも無い話なんですけど(あ、友情の要素は一応あるか)、あのラストバトルで「勝利を諦めずに」戦い抜いたからこそ、『デビルマン』はギリギリ少年漫画と呼んでいいわけです。あのラストがもし「自殺行為の滅びの美学」を描いたものだとしたら、一気にNG、それは青年漫画の話だよ、となるわけでして。


 では、『週刊少年マガジン』で連載中の、いかにもダウナー系で後ろ向きなテーマを掲げた漫画である『さよなら絶望先生』はどうなのか?
 実は、この漫画ってこういう話なんじゃないかと気付いてしまいました。


「希望を抱いたら負けかなと思っている」→諦めずに戦い続ける主人公→少年漫画



 あぁ、なるほど、みたいな(笑)。
 っていうかあの主人公は(自分の意見を主張する時は)割と熱血するタイプで、負けず嫌いだしなぁ。
 だから、ヒロインのポジティブ少女なんかが「否定すべき敵」として懐疑的な描かれ方をしなければいけないのかもしれません。
 彼女のポジティブな発想に納得したり癒されてしまうと「主人公の負け」になるわけで、すると『さよなら絶望先生』は「現実主義者vs理想主義者」のバトル漫画として読めるかもしれませんね、と投げ遣りな提唱をしてみます。