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描かれない心理と透けて見える心理/今週のスクラン(♯215)から

 今週のマガジンの『School Rumble』を読んで思ったことの箇条書きです。
 再び心理劇に突入しているので、主に心理面のことから。心理的な話なので、筆者の私見が入っていますが我慢して下さい。

  • おそらくこの回で単行本17巻の終わり
  • ちゃんと11頁もある。心理劇の時はやっぱり多めにページが欲しい
  • ひなまつりまで遡って読まないとストーリーを把握しづらいのではないか
    • 「沢近編」が進んでいたように思わせて、ちゃんと「塚本姉妹の物語」が併行していたことを意識しないと、ストーリーを見失うと思う
  • 今回は「八雲が考えないようにしていたことを直視してしまった」ことによる話が中心になっている
  • ちなみに作品内時間で八雲の誕生日(3月23日)は一週間程後。ハラハラする

八雲


  • 「原稿か塚本か〜」 漫画の話をしようとしても、播磨に無視されてしまう。この時の表情は「私(漫画)よりも姉さんを選んだ」ことのショックも含まれている?
    • 播磨が「何よりも天満を優先する」ことは何度も目撃していることだが、ここまで酷い所は見たことが無い、というような表情
  • 「つらいことが沢山あって〜」 両親の問題がチラつく。やはり死別してるのか
    • 回想シーンの天満が凄くひょうきんな顔に描かれているが、「姉さんが本当は一番泣きたかったハズなのに」と言う八雲にとっては、「つらいのを我慢して笑っている」ように見えたからこんな風に記憶されているのかもしれない(天満自身にとってはナチュラルな笑顔だったとしても)
    • 八雲が文化祭の時に言った「好きな人ができたらいつもほほえんでいたいと思う」というのは、天満のような存在を理想にしているからだろうか
    • それにしてもこういう緊迫したシーンでユーモアのある絵を入れる小林尽は、クールなのかシャイなのか*1
  • 「自分の感情をない交ぜにして〜」 一見「播磨への恋心」や「沢近への嫉妬心」を訴えているように見えるが、実はそうと確定できる言葉をまだ口にしていないし、本人もそれは思考に上らせていない
    • 八雲が好きなのは「姉さんを好きな播磨さん」でもあるので、極論すれば、八雲は「播磨さんの妹」という将来でも別にいいと思っているフシがある(あるいはそう思い込もうとしている)
    • でも播磨の気持ちを優先しても、天満の気持ちを優先しても、その結末はありえないから悩んで、苦しまされている

(♯206)

  • スクランのキャラの中では、オレンジロード的な「恋以前の幸せな空間」を最も愛しているのが八雲で、恋愛感情を抜きにした「家族愛」を望んでいる所もある
    • 恋愛感情は自覚していないが、家族にはなりたい。できれば恋愛をすっとばしてしまいたい
  • エビパーティの時に沢近に向けた「まだ気が付かないんですか?」は「この状態をなんとかできるんですか」と「私たちの関係に邪魔してこないでください」が混ざっていたような感じもする
  • 八雲の心理としては「私たち二人の問題なのに、勝手に割り込んできて全部持って行こうとしないで、邪魔しないで」って意識だから「悔しい」
  • 八雲が一番嫉妬しなければならないのは天満に対してで、「天満を恨む」ということが絶対にできない八雲は、それを抑圧して沢近にぶつけてしまっている。だから「私なんてことを…」と後悔している(ただ、当然本人はそこまで心を整理できていない)
    • やはり八雲にとって最大の障害は天満なのかもしれない。でも姉に立ち向かうことは、八雲としてはできない

サラ

(♯206)

  • サラはひなまつりの時に、八雲の表情を盗み見た時から「八雲が一人で悩んでいる」ことを察している
    • 良妻賢母型で、世話を焼いても焼かれることは苦手な八雲にとって、サラは唯一甘えることのできる友達。八雲が頼るとしたら、サラ以外には居ない
    • 八雲が自分から話し出すまで、ずっと黙って待ってたサラは強い


  • 「私なんてことを…」 普通に考えてみれば、「他人に感情をぶつける」ことくらいは人間ならごく自然なことで、八雲はその「当たり前」なことがまともにできない人。それは人間としては不自然とも言えることで、この時のサラの張りつめた表情は、そんな八雲の性格の在り方に心を痛めているようにも見える
    • このくらいのことで自分を罰して、「自分がどんどんイヤな人間になる」と苦しむ八雲は痛ましいが、それは決して忌むべき性格でもない。だから「八雲はいーこだ」と肯定して慰めることができる
  • 八雲を「こういう性格にした」張本人は天満だったりする。天満は精神的に八雲を救ったのと同時に呪縛もしていて、実は一番苦しめているとも言える
  • 八雲は元々は勝ち気で短気な性格で(♯174参照)、天満によって「感情を外に出せない」性格になってしまった(天満に関係する感情だけは除く)。それに加えて超能力の問題があって、恋愛感情も外に出せなくなっている
  • 「うえ〜〜ん」という子供っぽい泣き方をすることで、ようやく八雲は「子供の頃から抑え続けてきた感情」を解放できたのかもしれない。この点からしても、八雲にとってサラとの出会いが、いかに希有な出会いであったかも分かる
  • サラは最初から、「八雲は播磨に恋をしている」と勝手に決めつけている。でも八雲自身にその自覚は無いし、姉の問題を含めた、かなり複雑な感情を抱いているので単純に恋として割り切れない
    • そういう意味では八雲はサラに「勘違いされている」のだけど、サラは「先回りした結論」を見抜いて、八雲の代わりに答えを出してあげているとも言える
  • ちなみに今回のサブタイトルは「WE'RE NO ANGELS」で、要は『俺たちは天使じゃない』なんだけど、それを「私たちは天使じゃない」という意味で使っていて面白い。「私たち」というのは八雲とサラなんだろう
    • 天使のように無垢な人間なんていないんだ、私から見れば八雲は「いい子」だよ、と

高野

  • 相変わらず行動の真意が読めないが、別に沢近を播磨とくっつけたいわけではなさそうなことと、播磨を痛めつけることが目的に含まれていたらしいことは解る
    • そうすることで何を動かそうとしている?
    • 高野は沢近をライバル役に仕立てたかったのか?

沢近

  • そして完全に敵役化している沢近。小林尽の当初からの設定通り、「ライバル」という位置からブレない
    • やはりメインストーリーは「三人の主人公(天満と播磨と八雲)の物語」なんだろう
  • 高野は沢近を煽って「ライバルに仕立てた」つもりだったのだろうが、(原稿を破ったことも含めて)今沢近は自分の意志で行動している
  • 恋愛感情は薄くなっていても、恋敵の役をやめない、つまり「立場だけの人間」になっている。今までは周囲から祭り上げられるだけだったが、今の沢近は自分から望んでそうしているから、人間的には成長している
  • 沢近の役回りは語り部めいた所もある
    • 語り部としては「最後まで見届けたい」感情が強いんだろう。自分の気持ちの為ではなく、他人の気持ちを知る為に行動している
    • いわば沢近は、アガリ放棄しながら麻雀を打ち続けているようなもの。恋愛の結果よりも、状況の推移自体に興味がある?
  • 問題が解決されてほしいのに「何もできない」状態の八雲に対して、空回りでもなんでも「行動してる」沢近は対照的だ
  • 少し遡ると、沢近は「播磨の強さ」は尊敬している所がある(お見合い編参照)

(♯152)


(♯154)

  • まだ家庭問題で悩んでいる筈の沢近は、その強さも見極めたくて播磨に関わっている?
    • 「播磨に想われている」ということ自体は勘違いであることに気付いてきたわけだが、性格の真っ直ぐさだけはまだ評価している? 播磨を試すことで、それを確かめたい?
    • 原稿を破ったのもその為? 前回ラストの「…フーン あっそ」はそういう意識が裏にあると思うと自然に見える

まとめ

 ……このようにスクランでは、はっきりとキャラクターの心理が描かれないので、読者の方から歩み寄って心を想像して読む必要があります。
 また、どのキャラクターも「自分の素直な気持ちを口に出す」ということをしないので、キャラクター同士の関係でも「多分この子はこう思ってるんだろう、じゃあこうしてあげよう」というような、「想像に基づく行動」が多くなりがちです。
 今回典型的なのがサラと八雲の関係で、心の整理がついてない八雲に対して、サラは詳しい事情を特に訊いたりはしてませんから、「八雲の本心」は何なのか……という所では、どこか勘違いをしている所もあるでしょう。それはそれで物語が進んでいく所がスクランらしい所です。


 それは丁度、今週の『魔法先生ネギま!』と読み比べてみれば作風の違いが良く解るのですが、ネギまの場合は基本的に、「勘違いされそうな状況」になったら、すぐ自分の気持ちや考えを口に出して相手に説明するんですね。それで相手も、その場で納得してくれる。ちょっと誤解されて場面が混乱しても、言葉にしてしまえば、互いの気持ちがはっきりする傾向があります。
 だから読者側からしても「今このキャラは、こういうことを考えているのか」ということが読み取りやすい、言い換えれば「内面が透けて見えやすい」漫画だと言えるでしょう(例外的に、わざと内面を読みにくくしたシーンは勿論ありますが)。
 キャラクターの顔の描き方もわりかし単純化(コミカライズ)されていて、「怒ってる」「照れてる」などの感情が読み取りやすいようになっています。


 逆にスクランのキャラクターは言葉も少なく、言葉があったとしても本音を語っているとは限らなかったり、描かれる表情も曖昧で感覚的なものが多いでしょう(1〜7巻あたりの絵柄は別で、コミカライズされた絵が多かったですが*2)。


 キャラクターの心理が描かれないか、透けて見えるかというのは、別にどちらが優れているというわけでもない、作風の違いだということですね。

*1:追記:あるいは、絵を描く際にキャラクターの気持ちに入り込みすぎていて、絵の出来上がりなんか気にしないで描いているような状態なのかもしれない

*2:その分、当時の方がとっつきやすい作風の漫画になっている筈です