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阿佐田哲也『麻雀放浪記』

 阿佐田哲也麻雀放浪記』を青春編から番外編まで読破。
 小説を読むこと自体が久しぶりでしたが、感動。番外編のラストシーンではグラッと泣いてしまいました。
 ドサ健と李億春はヤバい。麻雀が「個人プレー」の競技だからこその生き方なんでしょうが、「味方は嫌いだ」の章はマジ泣けます。


 で特に「深さ」を感じるのは「男の世界の戦い」を描ききった最初の青春編と、その世界が行き着く果ての泥まみれを描く番外編。
 逆にその中間の、風雲編と激闘編は「戦いと破滅」を繰り返しているだけのような感じもして、前後に比べたらちょっと物足りない感じもします。ここらへんの感想は、今度友達に話して感触を知りたいな。


 それにしても「魅力に憑かれる」というやつなんでしょうが、実際に読んでみた後だと、多くの人が「阿佐田哲也の世界観」を愛してるんだろうなぁということがなんとなく分かってきた気がします。今まで、ファンの人に何人か会ったこともあるんですが、その人の人生観に深く根差してしまうくらいの魅力があるんだろう、と。
 で、そういう人達とは、なんとなく価値観を共有できるような気がしてくるというか(笑)。
 麻雀放浪記の中で描かれているような人生は、自分の本質の中には無いものだとは思うのですが、だからこそ彼岸を覗くような気がして、凄い影響受けちゃいますね。後世まで語り継がれる価値のある作品だと思います。


 そういえば「彼岸を感じる」というのは色川武大を読んだ時にもイメージした言葉なんだよなぁ。「凄絶」とか「苛烈」という形容詞が似合うのも、色川文学と共通してます。
 極端にしか生きられなくて、その極端さ故に生き様を自ら限定していく……というテーマでも大体通い合っていて、やはり同じ人の書いた作品なんだなぁと思うわけです。


 しかし実際、福本伸行に代表されるような(ピカレスク・ロマンを守備範囲とする)作家らが阿佐田哲也から強烈な影響を与えられているのは火を見るより明らかで、しかも、そういう「影響を受けたであろう作家の作品」に自分は今まで散々触れてきた筈なのに、遡って『麻雀放浪記』を読んだ時に、それでも全く新鮮な感動がある、というのも凄い話です。
 こっから更にリターンして『銀と金』あたりを読み返してみると別の発見があるかもしれません。


 あと外して語れないのが、阿佐田哲也の大ファンだという(2月3日参照)赤松健への影響関係。自分の作品には影響を出さないように自制しているのだとは思いますが、実際にお会いした時の雰囲気や、今までの言動を振り返ってみると「あ〜っ」と合点がいくような所が思いあたります(本人が「今よりもっと野心があって攻撃的で」と称していた学生時代なんかは、如実にそうだったんだと思う)。
 赤松さんは明らかに「独自のバランス感覚を頼りにして生きている」タイプの人だと思いますが、それも色川武大の作品に良く出てくるテーマで……ってこれ以上は長くなりそうなんでここまで。


 実に「読んで良かった」と思える小説でしたが、二十代の半ばというタイミングで読んだからこその発見もあったような気もします。多分十代の頃に読んでたら、作中の精神論的な部分には触れられないまま、普通にカッコイイ、と思うだけだったかもしれません。


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 しかしマガジンで連載してた「哲也」と麻雀放浪記は全然違う、という話は聞いてましたけど、確かに全然違いますね。モデルと言い張るには換骨奪胎しすぎだろう、という(笑)。少年漫画のセオリーで勝ち続けることを運命付けられている「哲也」と違って、放浪記の坊や哲は、どっちかというと負けてばっかりだったイメージがありますし。
 でも「哲也」は「哲也」で、まとめて読み直したくなってきましたけどね。