残念がる赤松先生
赤松健公式サイトの日記(6月26日)より。
「マガジンで、とうとう久米田が”名簿”をやった!」という報告があり、
ワクワクしながら見本マガジンをめくったら・・・
・・・名簿ネタ、見開きじゃないし!!
一コマネタじゃん! しかもまだキャラ全員分考えてないし。絶望した!!
これ、見開きにして、しかも「CV.堀江由衣」とか勝手に決めてあって、
初めて「イタタタ・・・(笑)」となるわけで、久米田の野郎もまだまだ
マガジン編集部に気を遣っているな・・・と感じましたね。(大増20P
だから、ページ不足が理由ではないはず)
32人に増やしたくらいじゃ甘いですばい。そもそも男が入ってるじゃん。
これ読んで思ったんですけど、「ネギまいじり」のギャグ漫画の面白さとしては、明らかに
堂高しげる>>>>(超えられない壁)>>>>久米田康司
なんですよね。
堂高しげる先生は今『少年シリウス』で『もえちり!』という漫画を描いておられるわけですが、もえちりを知らない人はこちらのを参照のこと。公式サイトはこっち。
そしてこれが、キモである見開き47人の図。
キャラ名もフザケまくってて、「長崎ザビーネ」とか「群馬にぶんのいち」とか「鳥取シェラザード」とか。そして全員の設定は考えてません、という無計画っぷり!
こういうのがまぁ、ネタにするならこうしろ、といういい見本ですな。
更に言うと『さよなら絶望先生』がやっている「キャラを少しずつ小出しにして増員する」っていう手法は単なる「ハーレム漫画形式」なので、手法的には退行してるだけなんですよね。ここ読めば解ると思いますが、むしろオーソドックスなことを堅実な手法でやっているのが『さよなら絶望先生』という漫画だと思います(堅実とは言っても、いずれ破綻が見えてくる手法なんですけど)。
そこは赤松さんも理解した上で言っているわけで、アニメ版ネギまのファンブックのインタビューでそのテの手法を「よくあるパターン」と言い切っちゃってるのがウケるというか。
回を追うごとに女の子が一人ずつ順番に登場するように、とも考えたんですけど、それじゃよくあるパターンになっちゃいますよね。だから最初から全部出しちゃえってことで(笑)。
「回を追うごとに女の子が一人ずつ順番に登場する」……って絶望先生がそういう漫画だよ(笑)。そりゃあ、「ネタ」として面白くもなんともないのは当然なわけで。
その点、堂高しげるの方がムチャなことをやってネタに昇華しているわけですが、こっちは絶望先生ほど有名じゃないのが不憫といえば不憫。同じ講談社作品なのに……。
絶望先生のターゲット
とまぁ、いかに『さよなら絶望先生』がネタとして成立してないかを検証してきたわけですが、絶望先生は「ネギまと勝負するような漫画じゃない」から別にいいよな、とは思うんです。
絶望先生の読者ターゲットって結局、ちょっと少年誌の路線から外れてるというか、だから女の人とかも多い印象なんですけど、そういう層のスキマをうまく突いてる感じだから、別に「赤松いじりネタ」で「ギャグ漫画」を徹底しなくてもいいっちゃいいんですよね。
逆に今週の話は、「ネギまとは勝負しません」っていう意思表示として読んでしまいましたけどね。ネタにするとしても精々、後ろ足で砂をひっかける程度で行くつもりなんだろうな、というか。作者の気持ち的にも、実際そうなんだと思うんですけど。