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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

web拍手のお返事

 3月31日に、赤松健論の読者の方からweb拍手で質問をいただきました。遅くなりましたがお返事を。

赤松健論を読んでいて思ったのですが、僕のマリーという漫画は読まれていないのでしょうか。
AI止まを読んだとき、女神さまも連想しましたが、なにより僕のマリーにそっくりだと思ったので。

 『ぼくのマリー』はラジオから入って、知ってます。AI止まと同じ1994年の作品で、殆ど同時期ですね(わずかにぼくマリの方が早い)。参考作品として挙げる予定もあったんですが、青年向けコミックなので外しました。あの頃の竹内桜の絵は好きですよ。
 ぼくマリの主人公は潔癖なサイエンティストというのが特徴で、確かマリーも純粋に学術的な目的で作った筈で、恋人にする気はまったく無かった(そのラインは最後まで変わらない)というのがAI止まとの違いだと思います。
 AI止までの麻生さんに相当するキャラが真理さんなんですけど、主人公の雁狩ひろし──ってこいつもひろしか! 紛らわしいなぁ。星パラの主人公が「ひろし」でAI止まの主人公が「ひとし」なので思い出す度に混乱します──は基本的に真理さんの方を向いてますからね。割とまっとうな構造のラブコメ漫画だったと思います。マリーもあくまで妹役ですしね。いやそのマリーが一番可愛いというのもラブコメとしてどうかと思うんですけど。
 なので「少女型のロボットを作ってみたが、恋人にはしない」という設定で言えば、むしろぼくマリは『Dr.スランプ』に近い漫画だと考えています。
 AI止まのおかしい所(今思えば凄い所という気もしないでもない)は、「人工的に恋人を作って、そのまま恋人にする」所ですからねえ。手塚治虫じゃあないんだから……。


 余談ですが、AI止まは『電波男』的な視点で読んでみても面白い漫画で、なんせ、クライマックスはまんま「アナログ彼女とデジタル彼女のどっちを取るか決断を迫られる話」ですからね。かといって安易な「脳内>現実」という結論にならないあたりが見所。
 しかし、AI止まのサーティは掃除をしてくれるわ看病もしてくれるわおっぱいも触れるわでいたれりつくせり。未来の脳内彼女としては完璧ですな。そんな漫画が10年以上前に出てたわけで……早すぎです赤松先生!