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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

アンチになるということ

 具体的な作品名や内容は忘れたのですが、以前「作り手側の何気ない遊びに拒否反応を起こして、作品そのものが嫌になり視聴を打ち切ったとある友人」の例を出して「本来ならスルーされるべき事柄で一人のファンを永久に失ってしまう」という可能性について言及していた記事を読んだことを思い出しました。


 何の話かというと、恥ずかしながら言いまするに、近年、ぼくにおいて見られるそれが『サムライチャンプルー』第1話冒頭における「この作品はフィクションです ガタガタ言わずに黙って見やがれ」であり『舞-HiME』第2話予告の「萌え」と「燃え」を掛け合わせたダジャレ*1であることは間違い無いわけでして。


 この二つの言葉は、本当に、目(耳)に焼き付いて離れない。


 そして当該作品に対するぼくの視聴態度に半永久的に付きまとうネガティブな第一印象であり、今後いかに良質なフィルムが待っていようが標準期待値の一千倍くらいに面白い出来でもなければ絶対に評価なんかしないだろうという確信があります。
 で、自分のこういった視聴態度が実に公正さを欠く理不尽なものだということは『舞-HiME』辺りになってくると自覚できるようになってきまして、では感想者としては黙して語らずでいるべきか、それとも言葉を選んだ上で語るならよしか、が問われる所なのですがさてどうしよう、といった次第です。
 とりあえず、もし感想を書く時には「アンチの意見です」と但し書きを付けるのが男らしいかな、と考えなくもないですが。


 ところでこの、「アンチになる理由」というのは具体例を集めて分析してみると面白いデータが採れるかもしれませんね。
 いかに下らない理由で「ダメ」と評を下される作品が「作られ」続けてきたのか、ということが実態として良く解りそうな気もします。
 特にウェブの感想(というか、古来からの弁論の場)では、批判ならば「客観的で公正な意見」が望ましいものとされている風潮がある(賞賛ならば主観的な意見でも歓迎される可能性が高い)だけに、「その本人にしか当てはまらないような嫌う理由」をオフレコ以外の場で知る機会が少ないように思えます。仮に2chのような匿名掲示板であってもそうですね。あそこでは「叩き」が主観的意見を抑圧してきますから。
 しかし、客観的に批判し続けることの不可能性に疲れた時に、主観的な嫌う理由を吐露するのもアリなんじゃないか、とふと思います。もっとも主観的意見だけではディベートの発展も何も無くなってしまいますので、あくまで批評行為の息抜きとして、ですが。

ありがちな嫌う理由エトセトラ

  1. 作者と思想的に対立している
  2. 作者が自分の大好きな作品(人物)の悪口を言ったことがある
  3. 作者がブサイクだから顔を想像してしまってオカズにできない
  4. 作者が友達なので顔を想像してしまってオカズにできない

 どれも酷い理由ですが、本当にこんな理由で「どうしても好きになれない」人は実際に見掛けるものです。

*1:正確には「もえもえ〜な話じゃなかったの?」「燃えたじゃないか。車やフェリーが」「いや、そっちの燃えじゃなくて」