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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

渉外的に書き残しておきます

 「肩の力がいい感じに抜けた」というハラさんの判断に対して、言えることは限りなく少ないと思います。
 ただ、「閉鎖のきっかけを作ったこと」ではなく、ぼくが「いちいち指摘」していたことについてだけもう一度謝罪しておきます。重ね重ねすみませんでした。
 目の前に立っている人に向かって*1アイロニーを使えば、アイロニーや不快感の連鎖を生むんだということだけを伝えたかったのですが。
 どうやら、サイト間での交流を幾らか続けている間に、ハラさんとの間に信頼関係ができていたかもしれないという、ぼくの一方的な思い違いがあったようです。もう一度謝ります。すみませんでした。




 閉鎖に関してはぼくもショックで、精神力の限界も感じるしネットでの孤立感を味わいたいわけではないので、全面的に非を認めることにします。周囲の皆さんも含め大変ご迷惑をおかけしました。
 その上でこの一連の議論からも撤退したいと思います。他のサイトも「引き」モードであるようですし、ぼくが主張したいこともさして残っていません。特にid:emifuwaさんのサバサバしたコメントを見て、あぁ良かった、とぼくの中では決着が付いてますから。




 最後に「よくわからない」と言われているぼくの心情だけ書きます。読みたい人だけ読んでほしいので背景文字にしておきます。
 ヴァルネラビリティという言葉(意味はキーワードのリンク先に書いてあります)を昨日使いました。ヴァルネラビリティに満ちた言説、あるいは人物が存在したとして、そこに周囲が(何ら疑問を挟まずに)攻撃を加え始めるという光景を見ることが、ぼくは感覚的に、かつ倫理的に耐えられないのです。
 対象が「間違っている」とか「間違ってない」であるかに関わりなくです。「相手が悪いから攻撃していい」というのは「正義」の理屈でしょう(=「悪いことをしたんだから当然の報い」の発想)。
 どうもこの感覚は共感されにくい感覚だったようです。だから、これ以上この倫理観を強弁してもぼくの孤立が深まるだけでしょうから、皆さんに押しつけるのはやめておきます。


 それでも「ヴァルネラビリティに攻撃を加えることで暴力の場が出現し、それが更に対象のヴァルネラビリティを拡大させ、より暴力的な攻撃者を生んでいく」という、「吐き気を催すような光景」を何度も幻視したのは確かです。
 だからぼくは、幾度も批判サイドに向かって「待て」を繰り返しました。一部では理解されたようでもあるし、一部では「完全に沈黙させてしまう」という過剰な結果にもなりました。後者はぼくの不徳です。


 攻撃誘発性とそれに伴う暴力はネットでは良くある光景ですから(反して、爽快なくらいサバサバしている暴力や、「芸」として認識できるレベルの攻撃はなかなか見かけませんが)、ただ目を閉ざし耳を塞いでおけば良かったのかもしれません。
 最近の印象深い例では、漫画家の渡辺多恵子の問題がありました。ぼくは事後で知っただけですが、ひょっとしたらあれも、リアルタイムで目撃していたら、不覚にも参加してしまって、そして痛い思いを味わっていたかもしれません。その後で知ったかざぎり羽問題の時もやはり気持ち悪くなったものです。
 こういうぼくの感覚がおかしいと思われるのならそれでも構わないのですが、何かここから理解できる部分がありましたら幸いです。

*1:普段の邦楽ネタとの違いというのはここです