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捕捉1

 プリキュアをひそかに応援したい日記さんがリクエストに応えて、プリキュアを難しく考えていただけました(6月29日)。


 多元主義社会の表れとして『ふたりはプリキュア』を説明しておられるわけですが、もともと日本の価値観って多元主義的なんですよね。
 なぜかってえと一元主義っていうのはキリスト教社会(と、キリスト教社会に端を発する西洋自然科学主義)に特有のもので、むしろ世界的に見ればそちらのほうが特殊なくらいだからで。んで、モダン→ポストモダンという思想の移り変わりも日本では適用しにくかったりするわけですが。
 東洋人は無常観や理不尽さを感じさせる民話や昔話を好むのに対して、西洋人はストレートなハッピーエンドや、罪と罰の関係がはっきりしたバッドエンドを好む傾向もあります。これを文化の違いだと指摘する学者も多いですね。
(一昔前のヒーローものの中には「普遍的正義」を志向する作品の流れもあったのですが、これは当時の脚本家などの作り手が「政治かぶれ」だったり「運動家くずれ」だったりすることが多く、西洋思想を作品に取り込んでいたからではないでしょうか……って、これに関しては岡田斗司夫が分かりやすく言及していたような)


 主人公が奇数ではなく、偶数(2人ではなく4人と数えてもいいでしょう)だから絶対性が無くなる、というのはその通りですね(もっとも、過去のコンビもののヒーローは「ふたりでひとつ」として描かれることが多くて、やっぱり単体扱いだったりするわけですが)。しつこく対象性が描かれるプリキュアは、ヒーローものの中でやはり特徴的だと思います。
 その点では、今後の展開で新キャラの妖精が加わると「奇数」になっちゃうわけですが……それはどうテーマ的に組み込まれるのかは気になります。