HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

コメント欄からサイト間までに溢れたので反応もこっちで


「自分の好きな作品だったら擁護するけど、嫌いだったら(論理的におかしいと思っても)擁護しない」っていうのが自分は理解できない。でもこれって少数派らしいです。知らなかった。
 これはちょっとミスリーディングしすぎじゃないですかと思うんですがどうなんでしょう?
 感情レベルでいうと「嫌いだから(論理的におかしいと思っても)擁護は他の人に任せればいいや」というのは割と一般的な反応だと思います(調べたこと無いですが)。
 その後で、「論理的におかしいと思うから」こそ、擁護やフォローの方法を考えようとするのが道徳心や理性のレベルの反応でしょう。んで、道徳心や理性は誰でも持ってますしぼくも持ってます。
 地雷犬さんは、ぼくがコメントした「感情レベルの問題」だけを抜き出して、それを「全人格的な問題」にすり替えていないでしょうか? 理性の存在はどこに行ったんでしょうね。無いのかなウチには。


 ぼくも感情レベルの好き嫌いを「話の枕」にした後で、理性レベルで「バトロワも悪い影響を与えていると言えば与えている、それは否定できないし、でもそれを言うならその他のメディアも大抵似たようなもんだ」「メディア以外の問題に注意すべきだ」という構成で話をしてるんですが、それが無い(擁護をまったくしていない)かのように自分のコメントが引用されるのはちょっと残念です。


 まぁぼくの書き方やレトリックが未熟だった(文章が脳内完結していた)ということなんでしょうけど、もう少し地雷犬さんの疑問点の意図を読み取って返答できていれば良かったと反省しています。

 ちょっと飛び火してますが、まぁ親になったこともない人間のヨタ話ということで基本的にはアレなんですがこうして意見交換ができる分にはいいのかな。
 森博嗣は確か、自分の子供が大きくなるまで新聞もテレビも一切見せなかったしそれは正しいと実感した、とか自慢してましたけどあのケースはどうなんでしょう? 他の成功例を自慢していた親の意見を読んだこともありますけど、実際はそううまくいってないってことなのかな。
 要は親の腕次第なんだと思いますけど(あるいは、子供が親に隠れてその手の情報を仕入れてたのかもしれない)。


 あと「言論/表現の自由というのは『9割のクズ』の流通を全面肯定すること」……っていうのは良く聞く文句だしそういう主張も尊重したい反面、懐疑的な部分も実はあります。ここらへんはただの綺麗事なので意見を叩き合えるほど理論化はできてないんですが。*1

*1:例えば、送り手が全力で血を流しながら「流通させる権利を守ってくれる」からこそ、作り手は「流通させるに足るクズ」で送り手に応えるべきなんじゃないか? とか、うーん、綺麗事だな