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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

佐世保女児殺害事件について少し

 ここでは時事ネタにあまり言及しないつもりでしたが社会派くんがゆく! RETURNS村崎百郎の発言が相変わらずの鋭い妄想だったので紹介しておきます。期間限定記事らしいので最初の段落をコピペ。


長崎は今年もダメだった(笑)  村崎百郎


 雨の季節の長崎には猟奇犯罪が似合うとでもいうのだろうか(笑)。またしても惨劇の舞台は長崎県である。昨年の長崎幼児殺人事件の時も、俺はこの手の事件が起きると必ず行われるマスメディアによる見当違いの「犯人さがし」に嫌味と皮肉と嫌がらせを込めて「ホラービデオなんかよりも、被爆地である長崎が子供たちに行っている被爆教育(並の死体ビデオなんかメじゃないほどコワ〜イ被爆写真を沢山見せられるそうですねえ)の方が、よっぽど深刻な恐怖と衝撃を与えてトラウマを植え付けている事実を無視するんじゃねえ!」と冗談のような真実を指摘したはずだが、今回も誰もそのことについて言及しねえんだから、この国の教育関係者はどいつもこいつも脳が腐ってるか阿呆揃いだと思って間違いないだろう。“平和のための祈りを込めた熱心な被爆教育”が、かえって子供たちの心を荒廃させるんだから笑っちまうぜ。嘘だと思うならもう一つの被爆地、広島を見るがいい。あそこも明らかに行き過ぎた被爆教育が元凶となって子供達の心を蝕み、そのおかげでいまだに全国で一番、暴走族が凶暴に暴れ回ってるイケてない地域に成り下がっているではないか。これは俺一人の電波な思い込みじゃなくて、実際に広島や長崎出身の連中から「子供の頃、被爆写真を見せられるのが怖くてものすごく嫌だった」って聞いてんだから、全くのデタラメでもないんだぜ。『はだしのゲン』が日野日出志よりもはるかに怖いホラーマンガであることに異存のある奴はいないだろう。熱心な被爆教育は、平和を愛する心を育てるかもしれないが、同時に多感な子供心にショックを与えてホラーマニアを増殖させることも念頭に置いてヤレよということだ。一つの猟奇事件は、その事件の報道を通して同様の傾向や趣味を持った人間の暗部を刺激して、確実に新たな猟奇事件の呼び水になる。それもふまえて騒ぎ方を考えろとマスコミの皆さんにも言いたいものだが、俺は犯罪報道を無責任に娯楽として享受する最底辺の人間のクズなんで、ホントはどうでもいいんだよ。なるべく派手にやってくれ。

 実に正しい、と錯覚してやみませんよ。
 唐沢俊一の方は石黒さんが紹介しているのでそちらを参考に。でもいつも村崎氏の方が面白いこと書いてると思うんだけどなあ。


 以下、私見かつ不謹慎極まりないゲスな話ですが今回の事件で目新しかったのは「被害者よりも加害者の方が可愛かった」という事実だろうなあと。まぁぼくもうっかりその写真を見てしまったクチなわけですが、ああこりゃ相手に優越感持っちゃってもしょうがないよねっていう造作をしてるわけでしょう客観的に。んでそういう意識から引き起こされる諸々の感情っていうのは想像もつかないけど本人にとってはすげえ重大なんだろうと、やっぱ小学高学年から中学生あたりの女子は怖えなあと子供の頃を回想したりするわけですけど。


 あとまぁぼくは実はバトロワが大嫌いだったりするのでそこに関しては結構溜飲の下がるような思いだったり。ああいう小説は同人流通かエロゲーで済ませときゃ良かったんですよ。別にバトロワをこの事件の犯人にしたいわけじゃないけどなんというかな、オタクあるいはサブカルチャーに通じた人達はマスコミを叩いてアニメ/コミック文化を擁護することが多いんですが、人間の快楽原則(と商業主義)に基づいて刺激的な情報を無批判に垂れ流しているという点ではマスコミもアニメ/コミックも同じでしょって思います。明らかに質が低い(より快楽原則に忠実な)のは確かにマスコミの方ですが、バトロワもベストセラーになるくらいなんだから(←スノッブな決めつけ方)大して違わないでしょう。


 刺激的な情報はバトロワに限らなくてもいくらでもあるし、(じゃあそれを全部18禁にしろという無茶が言えない以上)悪い影響を与える可能性はいくらでも続くんですから、それは「在るもの」として受け入れるしかないと。送り手側の良心と受け手側の選別的な消費態度に期待しつつ。(※太字加筆部分)


 注意しないといけないのは、バトロワに影響されてカッターで人殺すっていうのが車をトバすと気持ちいいから交通事故が起こるとか、プロレス技が格好いいから子供が延髄斬りで友達を殺すとか、そういうのと同レベルの自然な現象だってこと。
 具体的な防止策としては躾るのが一番だと思うんですがどうなんでしょうね。*1例えば昔の子供は「肥後守」を日常的に持ち歩いていてもそれを喧嘩に使わずに素手で殴り合っていたのは「肥後守」を「道具」として使い慣れていたからであって、カッターナイフや包丁をとにかく「道具」として叩き込む躾をしていればそれで人を殺そうっていう発想はあんまりしない筈でしょう(一時期バタフライナイフが流行ったのは、それを「武器」としてしか認識しなかったからでしょ)。カリキュラムとして子供にプロレスのルール(反則技や危険行為を含む)を叩き込んだり相撲とかさせたりすると喧嘩に慣れさせることができる反面、当然力の弱い子にストレスがかかってくるわけですが、そういう子はほっといても自然にいじめられるんですってば。うーん、つい冗長にだらだら書いてしまうからやっぱり時事ネタは避けるべきだなあ。反省。

*1:あと「何も見せない、与えない」っていうのは実際正しい教育法だと思う