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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

昨日の続き

 何もそこまで言わんでも、と訝しんだ人もきっと多かったろうと思うが、もう一度書いておきたい。


 いかに各々のテキストサイトの管理人が「A氏」に対する価値判断を唐沢氏の言葉に惑わされずに自ら下しており、また自分なりの意見を明示していたとしても、そこに唐沢氏の文章を引っ張ってくることで氏の思惑に巻き込まれ、荷担させられてしまっていることには違いが無い。このことには気付いていて欲しいのである。
 いや、どれだけ書き手が自覚的であろうと、昨日の注釈でも書いたように「テクストというものは、本人の意向をどうチラつかせようが表象に書かれている言葉を変化させない」のだから、やはり唐沢氏のA氏批判の「伝搬」に手を貸してしまっていることになると思う。


 こういう意見はパラノイアックな陰謀論に受け取られてしまうかもしれないが、じじつテキストサイトというものはそういった責任意識をもって運営されることが望ましい筈だ。
 第一、ただ人の人格を貶め続けることにメリットがあるのか、と思うのだ。*1
 単なるテキストサイトに書かれていることならダメージも最小限に留められるだろうが、ここにきて唐沢氏はプロのライターだ。それなりに因縁や禍根もある。もし本当にA氏がすさみきって潰されてしまったとして(こういう仮定を想像すること自体、まぁ失礼な話なのだが)、ぼく達は「ざまあみやがれ」とでも言って満足して終わるのだろうか。それこそ、A氏が持っていた権威や客層(……があるかどうかはともかく)をごっそり横取りされて終わりなのではないだろうか。
 どうもそういうことがあまり考えられていないような気がして、ぼくは不安になってしまったのだが。*2

*1:批評と中傷のバランスという問題でもあるが

*2:この話題を長続きさせることで、かえってその「伝搬」を手助けしている……と言われれば確かにそうなのだが、それでも言わずにはいられなかった