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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

オリジナルを意識した引用とオリジナルを意識しない引用について

 まぁ、こことそのコメント欄絡みの話なのであるが。
 あんまり深く議論に参加するつもりはないものの、自分なりに単純化するための覚え書き。

  • 音楽業界からみて

 オリジナルなんかどーでも良くなってる引用、っていうのは音楽業界が90年代に経験しちゃっている。ヒップポップとかテクノとか。それとどう違うのだろう。
 データベース論を語る時に、誰もがしれっと「サンプリング」「リミックス」といった「音楽用語」を使っているワリに、それは音楽業界と同列に語られている様には見えない。今のアニメや文学をポストモダンと呼ぶなら、音楽業界が90年代に通過したものはなんなんだったんだろうか。


 で、それらの音楽やその手法も散々持ち上げられたり騒がれたりしたけど、結局音楽業界は「あんまり変わんなかった」と思う。
 サンプリング技術も結局は「楽器」のヴァリエーションをちょっと増やしただけであって、何か革新的な出来事だったとは思えない。
 もしこの「サンプリング技術」が「オリジナルを意識しない引用」の集積だとすると、「ギター」は「オリジナルを意識した引用」だということになる! それはちょっとメチャクチャだ。
 ギターひとつ取ってもそれは何らかのオリジンである楽器を持っており、楽器職人達はそれを志向して作ってきた筈だろう。でも大抵のギタリストはそんなこと気にしないで音を出してきた。これをオリジナルに対するシミュラークルと呼んだっていい筈だ。オリジナルを知らなくても、一応オリジナルと似た音が出ちゃうんだから。
 サンプリング技術によって変化があったとすれば、ただアメリカのヒットチャートの上位がヒップポップだらけになってしまったという程度のことだ。そう考えるとなるほど、「オリジナルを意識しない引用」で作られた「音楽」はこれ以上無いくらい「ポップ」で、大衆に受け入れられる音楽を作りやすかったのかもしれない、とか適当なことを言ったりはできる。


 ポストモダン論に出てくる「シミュラークルを消費する」という行為と、90年代の音楽達はどう違うんだろうか? ぼくには難しいことまでは解らない。でもなんとなく「おんなじもんなんなんじゃねえの」という気がする。
 だから多分、「シミュラークルを消費する」という行為も音楽業界と同じ道を辿り、あっさり通過されちゃう事例なのだと思うのだがどうなのだろう。
 もちろん、ぼく達は音楽業界という「前例」を知っているからこそ、「あっさり通過されちゃ」わない為になんらかの対策を練ることはできるのかもしれない。
 でも、今の議論がそういう方向に向かっている様には、あまり見えない。


 タランティーノ映画が俎上に上らないのも謎だなあ。あれなんかまさにシミュラークルの塊なんだけど。