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夢に出る管理人「ゆめかん」

izumino2004-01-28

 今日は根子(id:katzendr)さんと(id:kaolu4s)さんが出てきました。
 でも何故か薫さんに根子さんを紹介する時に「えーと、この人が“Not a Serious Wound”のハラさんです。……いや、ちゃう!」とボケてました。*1

*1:無論ハラさんにお会いしたことは無い。どっちにしろ失礼な夢ですね。ごめんなさい

那州雪絵『魔法使いの娘』1巻(ISBN:4403617263)

 結城(id:y_shinobu)さんが「那州雪絵は健在だった!」って言ってたので購入。
 むう……確かに衰えてません。間違いなく、過去の作品と同じ作者が描いた漫画ってのが伝わってきます。ヒロインの中身は『フラワー=デストロイヤー』と全然変わってないし。


 ただ漫画を描くことに手慣れている感じはあって、特別シリアスに走るわけでもないし、コメディに行くわけでもない。リキまずに物事を乗り越えていく。ドラマ的要求をはねのけていく。お話がブレない。
 作者は本当にこういうヒロインのキャラ造形が好きで、こういう物語が力を持っているっていうことを本気で信じているんでしょう。だからこそ安定して読ませられるんだと思います。*1

*1:本質的な部分で「成長しない漫画家」ってやつなんだろうなあ

色々

 あんまり仮想的な集団を捏造したくはないんですが、ぼくは昔のオタクと最近のオタクは別の人種である、と考えがちです。
 でも厳密に定義しようとするとただの世代論になってしまうので、そういう決めつけ方はやめた方がいいかな……という気もしますが。
 ぼくの場合は中学生の頃(90年代前半)から昔ながらの「先輩オタク」を意識して参考にしてきたところがあるので、古いタイプのオタクであるっていう認識が強いです。*1


 抽象的に言うと、古いオタクは「オタク的にものを見てしまう人々」で、最近のオタクは「オタク的なものを好きな人々」……という感じに分けてます。
 昔は無かった「オタク市場」という言葉があったり、ネットを使って同好の士とのコミュニティを簡単に手に入れることができたり、優秀なオタクの個人サイトを閲覧していれば面白いものを自分で探す努力をしなくていいようになったり……これ以上続けるとなんか愚痴になりそうなのでやめておきます。
 最近のオタク全てが同一の傾向を持っているわけがない以上、やはり仮想集団の捏造にしかならない。そこらへんの言葉遣いは気をつけるようにしたいところです。

 そりゃあポルノ商品を「射精作品」とか「絶頂作品」とは呼ばないわけで……とか考えるんですが。射精させることのみを主眼とした作品があると同時に、全然ポルノじゃない作品で絶頂を得るのも可能。萌えにも同じことが言えるんじゃないか。
 笑いとギャグマンガの関係にも同じことが言えるかもしれない。「これ、ギャグだけじゃないですよ。面白いですよ」ってのは良く聞く言葉です。それでもギャグマンガギャグマンガとしてラベリングされるのは、「ギャグマンガ形式」で漫画が描かれているから。
 しかし萌えのある作品を萌え作品と呼ぶ時に何かしらの違和感がつきまとうのは、「萌え形式」が確立されていないからではないか。
 萌え作品と呼ぶことの是非よりもむしろ、判別に足る「萌え形式」の不在こそが問題にされるべきではないのか(いや、無くてもいいと思うけど)。

*1:ちなみに、ぼくが「古いオタク」だなあと感じるのは、今30代後半くらいの人達です。20代後半〜30代前半は玉石混淆の世代だと思う

なんか出口を作りにくい議論なんですが、追記

 逆に、大きな声でこれは萌え作品だと言い切れるジャンル規則があればいい。それが無いっていうことは、単純に弱いジャンルであるということ。多くの萌え作品は、「萌えだけじゃない」のではなく「萌えだけになりきれない」のだと思う。必ず何らかのジャンルに寄生しなければならない、単独では力を持たない要素。


 いや、そもそも「少年漫画と少女漫画の間に漫画としての境界は存在しない」みたいなことを言ったのは誰でしたっけ?
 「少年漫画文法」や「少女漫画文法」は先人漫画家が残した遺産ではあるでしょうが、必ず守らなきゃいけないわけじゃない、あってなきようなものでしかない。そうすると、作品のジャンルというのは結局掲載誌や媒体に拠るということになる。
 じゃあ「オタク作品」? 「素晴らしいオタク作品です」って言うのはかなりの誉め言葉のような気がしますし、「これ、オタクっぽくないんですよ。オタクじゃなくても面白いですよ」って言うのも正しい使い方のような気もします。
 そこに萌えが含まれないケースもあるでしょうが。