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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

塩野七生の名文

結局、わずかの日数しか費やさなかったパルティアとの戦役で、七個軍団もの兵士を、総司令官も軍団長も百人隊長も、銀鷲の軍団旗とともに失ったことになる。ローマ人が自らに忘れることを禁じた敗北は、共和制ローマの七百年の歴史の中で三度あった。
 一度目は、紀元前三九〇年に、ケルト人(ローマ人の呼び名ではガリア人)に一時的にせよ首都を占領された苦い経験。
 二度目は、紀元前三二一年の「カウディウムの屈辱」。サムニウム族に破れたローマ軍が、武装を解かれて敵兵の槍の間を歩かされた末の休戦という、不名誉な敗北を喫したときだった。
 そして、三度目は、紀元前二一六年のカンネの会戦での、ハンニバルによる完膚なきまでの壊滅。ローマ軍は、七万もの兵を失って敗北したのである。
 しかし、ガリア人に対してはその後、ローマの攻勢に次ぐ攻勢で、あの頃の屈辱は忘れてよい状態にある。不名誉の代名詞までなった「カウディウムの屈辱」も、サムニウム族は結局、ローマに吸収されたのだった。カンネの敗北も、スキピオ・アフリカヌスがハンニバルに勝ったザマの会戦で雪辱を果たしている。クラッススとその軍が壊滅した「カッレの敗北」も、ローマ人の気質からすればいずれは雪辱されねばならなかったが、それが知らされた紀元前五三年の秋は、ローマはそれどころではない状態にあった。雪辱できるだけの力を持っていた二人の人物はいずれも、首都ローマとガリアで手も抜けない状態にあったからである。

 血のたぎるような文章があると、こっちの身も震えます。
 思わず写経したくなったのでタイピングしてみた(強調は筆者による)。

ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)ローマ人の物語10 (新潮文庫)ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)ローマ人の物語10 (新潮文庫)
塩野 七生

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