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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

ペトロニウスさんの記事と漫画論

少年漫画の王道とは?(1)〜スケール勝ちとは時間軸の因果が逆転することをまわりに感染させること

 ペトロニウスさんの物語三昧で続いている物語論の流れの中で、ウチが提示した「少年漫画のワクに落とし込むには?」や、「大人になっても漫画を読むということ」を受けて拡大した語りが行われています。
 一連の議論内容を知っていなくても一気に読める記事になってますので、是非閲覧されたし。


 というか、カルロス・ゴーンまで範囲が広がるとは。
 いずみのは結局、人に説教できる程まともな大人ではないわけで、立派に社会参画しながらも同時に漫画論者でもある、というペトロニウスさんの手にかかると、通じる所が違ってきますね。なんと言っても、そこが一番ペトロニウスさんの凄い所だと思います。そこばっかりは、「言えばできるモノ」じゃないですからね。
 

 この手の、「少年漫画の娯楽性から導き出せる教訓」というテーマは、オフ会などで語ったり、手元のメモに書きためたりしている題材でもあるのですが、いつか整理して公開してみたいとも思っています。

余談

 語り足りないこととして言っておきたいのは、個人的に漫画っていうのは


たかが漫画で、嗜好品に過ぎない*1


と思っています……ということです。
 それは再三「リアリティや合理性なんて(あっても構わないが)別に要らない」「漫画に描かれてることを参考にして成功できるなんて思うな」と繰り返してることからも解ってもらえると思いますが。*2


 要は、嗜好品――酒やタバコやグルメ食品など――は、ただの快楽装置であったり、ストレス解消手段でしかなかったりするんですが、それは一面の真理としてですね、その一方で「酒で悪酔いする人」も居れば、「気持ちよく酔える人」も居るし、「ストレス解消の為に吸っている筈の煙草を、吸えば吸うほどイライラする人*3だって居るわけです。


 「嗜好品」という言葉には「嗜み」という字が入ってますが、「たかが嗜好品」だからこそ毒にも薬にもなりうる*4わけで、受け手の嗜み次第で全然価値が異なってくるものなのだ、ということが、ぼくが読み手の立場から表現したいことの一つだったりします。


 更に余談ですが、同じことは少年漫画の分野だけでなく、エロ漫画の分野にも言えると考えてるんですね。

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 「エロ漫画」は快楽装置として発達進化を繰り返してきたジャンルですが、だからこそ「読者の生理的感覚に直接訴える」テクニックに関して目覚ましい成果を遂げて、ただの快楽装置に留まらないモノまでを遺してきた一大文化でもあります。
 ↑で行われているような少年漫画論とは全然ベクトルが違いますが、根本的な「読み方」は同一です。


 今まで「エロ漫画ってのは凄いんだよ」っていう布教活動(笑)は地味に行っていたのですが、これからは『エロマンガ・スタディーズ』を渡して「これ読め」って言えばそれで入門してもらえそうだってのがいいですね。

*1:コメント欄での議論でも言及していますが、「嗜好品」に「過ぎない」というのは言葉のあやで、嗜好品という価値すらも後付け的に与えられる要素であると言えます

*2:もちろん、「たかが嗜好品」をもっともらしく価値あるものへと昇華させようとするメーカーやクリエイター達の「技術的投資」や「文化的貢献」は大変に評価されて然るべきものです

*3:漫画でいうと、粘着質なアンチと化して、鬱屈とした感情を「たかが漫画」にぶつけ続けてストレスを溜める人、なんかがこれに当てはまると思います

*4:嗜好品はビジネスで作られている以上、ユーザーの健康管理はユーザー任せでしょう