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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

「愛し萌え」と「愛され萌え」

(今書いている記事の内容とはあんまり関係ない雑感です)
 前から思ってることなんですが、萌えオタクには「愛したい願望が強い派」と「愛されたい願望が強い派」の二派に結構別れるんじゃないかなぁ……ということ。


 ぼくは数年前からすっかり前者の性格にシフトしてしまっていて、だから「脳内彼女(妹)とかメイドが欲しい」なんてことは滅多に思わないし、リアルで女にモテないからといって特に不満も何も感じないわけです。「我愛する、故に我あり」みたいな感覚で、それ以外の欲求が薄いんです。
 でも『電波男』を読み返してみると、著者の本田さんはつくづく後者寄りの人だよなぁと。我愛される、故に我あり。萌え=脳内恋愛、という。ギャルゲーマーにはこっちのタイプが多いんじゃないでしょうか。


 この二種のタイプの萌えは、別個に分けて考えないとかなり意見がすれ違いそうなので、萌えについて語る際には意識しておくに越したことが無いと思います。*1
 あなたはどっちのタイプでしょ。

*1:例えば、後者寄りの本田透が自分の主観全開で『電波男』を書き上げているのと同様、(多分)前者寄りのササキバラ・ゴウもかなり主観で萌え論を展開していることが解るんですが、でも『電波男』はいかにも自分語りの私小説として書かれているのに、ササキバラはオタクの一般論として考えようとしているのが少し気にかかります。だからぼくと正反対のタイプであっても、より高い説得力を本田透の側から感じるわけです