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漫画と漫画の枠(ワク)

 今度は、「漫画の枠(ワク)」というキーワードを使って、別の視点から漫画の「キャラと世界観の関係」を語ってみたいと思います。

漫画のスケール

 「枠」とは漫画のアウトラインであり、完成予想図の青写真であり、作品自体のポテンシャル、「スケールの大きさ」と呼んでもよくて、作者が「どんなことをやれるか」の範囲のようなものを表す言葉だ、と言っていいと思います。
 枠が広ければ広いほど、キャラクターの活躍の範囲も増え、重厚で奥の深いドラマを展開できるようになると考えられます。「大器晩成」という言葉があるように、作品が最終的に完成した暁に想定される「器の大きさ」や「風呂敷のデカさ」が「枠」なんだ、という所で共通理解が得られればいい感じです。「大風呂敷を広げた大作」や「最初から適度なサイズにまとめた掌編」とか、色々思い付くんじゃないでしょうか。
 そして、枠の広さや形は、話が進むにつれて変化したり拡張される可能性があります(大抵は編集者の指示によるテコ入れ)。
 大幅な拡張を行う場合は作者の漫画力を必要とするのが普通で、やりすぎると中身がスカスカになってしまいます。また、連載中に漫画力をレベルアップさせた作者が枠を自然に膨張させてしまうケースもあるでしょう。
 面白い漫画、というのは「枠の広さ」か「枠の中の凝縮度」のどちらかに優れています。
 究極的な理想は「枠が広くて、中も魅力的なものがギチギチ詰まりまくってる」漫画なんですが、そううまくは行かないので「適度な枠の中に凝縮した魅力を詰める」か「広い枠の中をそこそこの内容でなんとか埋める」かのどちらかになる道理でしょう。


 で、例によって(わかりやすいので)四大週刊少年誌の伝統的な傾向を比較してみます。
 これも印象論っちゃ印象論なんですけど、「あぁ、そーだな」くらいの感じで読んでもらえれば。

ジャンプ系の伝統

 キャラクターが動いた先が、そのまま枠になってしまうタイプ。


 ドラゴンボールでもキン肉マンでもそうなんですが、ジャンプは「キャラクターに人気が付けばなんでもやる」のがウリみたいなものですから、路線変更はバンバンやります。自然と、最初に設定された枠を平気で飛び越えてしまうわけで、結果的に「初期と後期で作風が様変わりしすぎ」と読者にツッコまれがちな作品が目立つことになります。
 その安易な例が「バトル漫画化」というやつですが、主人公が日本を制した後は世界(宇宙だったりもする)が舞台だ、とか、とにかくキャラクターが活躍さえできれば枠はどんどん外に広げられるわけです。まぁ、あんまり飛び越えすぎると行き場が無くなってしまう、という。強さのインフレならぬ、枠のインフレですね。
 逆に言えば、最初は「小さめの枠」を敷いておいて、後付けで「広めの枠」を増設しやすい構造の世界観がジャンプに合っているとも言えるでしょう。


 例外なのが、尾田栄一郎の『ONE PIECE』など。尾田はかなり計画的に連載を始めたタイプの作者で、例えば第1話の時点で主人公が「グランドライン」に入ってワンピースを探して海賊王になって……っていうアホみたいに大きな風呂敷を広げきっているわけです(そして何十巻続こうがその枠を壊す可能性は無い)。
 冨樫義博の『HUNTER×HUNTER』も、一見話が次章へ進む毎(GI編やキメラアント編など)に別の枠を増設しているように映りますが、世界観的には「そういうことも充分やれる世界」として設計されている舞台ですから、やはり最初から枠を広めに取って計算された漫画だと言えます。
 逆に冨樫の前々作『幽☆遊☆白書』は、最初作者が設定した枠を(編集者のテコ入れで)バカバカ破壊して拡張しまくったケースです。それでも「最初の枠」に主人公をムリヤリ戻して、なんとか辻褄を合わせようとした所に冨樫の「作者としての意地」のようなものを感じます(更に言えば、前作『レベルE』では「枠を一切飛び越えない漫画」を描ききっている)。
 荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズは、主人公が交替する毎に枠を再設計してスケールを仕切り直すのが特徴ですが、一度敷いた枠は続編に進むまで維持しています(第6部の『ストーンオーシャン』だけ例外的に枠をブチ壊している)。

マガジン系の伝統

 予め枠の形や広さは設定してあるが、ドラマの都合に応じて枠を広げることもある。


 マガジンは基本的にドラマ優先なので、そのドラマが変な方向にスパークして暴走しない限りは、最初に指定した通りに枠の中を埋めていく漫画になっていきます。
 たまにテコ入れが入って飛び越えたりもしますが、さほど大幅な路線変更は少なく、大抵は元の場所に戻ってくることが多いと思います。代表的なマガジン漫画である『コータローまかり通る!』もそう。
 凄く例外的に、スパークした主人公が枠の彼方に突き抜けちゃった例が島崎譲の『THE STAR』など。


 赤松健の『ラブひな』も、まぁ南の島でインディ・ジョーンズばりの冒険したり、変なメカを出したりする時なんかは「一時的に枠を広げた」と言えますが、最終的には元々のラブコメの「小さな枠」に戻しています。
 次回作『魔法先生ネギま!』は『HUNTER×HUNTER』と同じ設計思想で、「色んなことをやれる世界」として最初から広めに枠を取っているのが特徴です。ただまぁ、ここまでバトル路線がイケイケになるとは流石に予想していなかったでしょうから、そういう意味では枠の形の微調整はしているんだと思います(これから枠をハミ出る可能性も無くは無いでしょう)。
 で、このネギまのスケールというのが異常にデカい。全キャラの紹介に10巻以上の巻数をかけ、全14巻の『ラブひな』を超すのも間近でしょう。


 今の連載作で、枠の変更が見られる作品は『GetBackers -奪還屋-』と『School Rumble』くらいでしょうか(スクランはギャグ漫画だから、元々何やっても許される形式なんですけど)。
 最初に設定した枠が(ONE PIECEばりに)広すぎて、作者の漫画力が残念ながらついていけなかったのが『トト!』でしょうね。現在は「広い枠の中で小さな枠を作り直している」という、ちょっとややこしいことをやっている漫画です。

サンデー系の伝統

 予め枠の形も広さも設定してあり、その枠を飛び越えることは滅多にしない。


 サンデーに連載する漫画が「完成度の高さが要求される」と言われる所以がこれです。第1話の時点で既に完成形が見えてしまうような作品が多く、編集者も路線変更を作者に要求しようとしないからでしょう。
 連載が始まったばかりの『絶対可憐チルドレン』なんてその典型です。あだち充の『クロスゲーム』もそう。
 流石に連載が長引くと枠がふくれあがってしまうようで、椎名高志の『GS美神極楽大作戦!!』(単行本で全39巻)は大幅な増設の跡が見られるケースだと思います。
 『らんま1/2』(単行本で全38巻)は……あれは意外と、枠の範囲内にストーリーを納めている気がしますから、高橋留美子は凄いなぁと。
 西森博之の『天使な小生意気』(単行本で19巻)も、(元々は凄く枠の狭い漫画だった筈なのに、連載を引き延ばされたものだから)中盤で変な方向に寄り道していました(で、総体的に見ると枠がしぼんでしまった)。


 藤田和日郎は割と規格外の漫画家で、『うしおととら』は作者の漫画力の上昇とシンクロしながら作品のスケールもどんどん拡大していった作品(でも路線変更は無いし、主人公が枠を飛び越えたりはしていない)、『からくりサーカス』は色々ムリのある増築をチラホラ繰り返している漫画、という印象です(主人公の代わりに、準主人公の鳴海が枠を飛び越えすぎてしまった感じ)。最終的に作者が絶大な漫画力で破綻をねじふせようとする様が圧巻です。
 田中モトユキの『最強!都立あおい坂高校野球部』は第1話で広げた枠がムチャクチャデカすぎて、作者が必死でその中身を埋めていこうとする様が(いつ力尽きるのかヒヤヒヤして)手に汗握ります。


 最近の作品で路線変更が目立つのが藤木俊の『こわしや我聞』。最初は『スプリガン』みたいな路線だった筈なのに、いつの間にか萌えキャラをいかに出すか、が最重要なキャラ漫画になってしまいました。 

チャンピオン系の伝統

 枠自体が無い(笑)。


 まぁそれは言い過ぎだとしても、枠なんか設定する以前に、行き当たりばったりで突き進んでいって、気が付いたら適当な広さの枠に収まっていた、みたいな方針が多いと思います、なんとなく(時々予期せぬ「枠の限界」にぶつかったり、障害物をブチ壊したりもするイメージ)。
 極端な例が板垣恵介の『グラップラー刃牙』で、主人公の最終目的自体はある(ような気がする)んですが、それ以外はルール無用のバーリ・トゥードですし。地下闘技場編で作品が獲得した「枠」を、作者があっさり投げ捨てたりするようなことも平気でやるから恐ろしいものです。
 例外的なのは、山口貴由の『覚悟のススメ』や曽田正人の『シャカリキ!』あたりか。
 八神健の『ななか6/17』のような異例中の異例もありますけど、あんなのでも多分編集者は自由な枠の中で描かせていたと思います。


 余談ですが、マガジンの『神to戦国生徒会』がチャンピオン的な自由な方針で描かれていることも解って面白い(笑)。

枠の種類

 枠には「強度」という要素もあります。しっかりした枠ほどブチ怖しにくく、もろい枠は容易にブチ壊して作り直すことが可能です。「完成度が高い」と呼ばれるタイプの作品は、枠がしっかりしているとも言えるでしょう。
 また、枠は作品の舞台でもありますから、中身に仕掛けをほどこしたり、デコレーションしている場合があります。
 これは地形に喩えるとイメージしやすいかもしれません。
 「中身が整地された、新地(さらち)の枠」「自然の障害物だらけの荒野の枠」「アミューズメントパークのように、計算された人工の設備がふんだんに設置された枠」などがあるでしょう。


 ジャンプ系の多くは新地の枠の上にキャラだけを立たせている(キャラの活躍に合わせて舞台を設計していく)漫画が多く、逆に『ジョジョの奇妙な冒険』系列の作品は計算された枠の中にキャラを置いている漫画だと言えます(予め決められたシステムに従ってキャラが活躍する)。
 マガジンとサンデーはその中間が多く、荒野なのがチャンピオン系ですね。

  • 謝辞

 今回の記事内容は結城忍(id:y_shinobu)さんとチャットして得られた意見に多く頼っています。感謝。