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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

TVアニメ版『魔法先生ネギま!』終了後の雑感(長文です)

 まぁ、今から書くことはぼくの私見というか、アニメに対する考え方みたいなもんなんですけど。できる限り、一面的な批判ではなく良悪の両面を掘り下げてみたいと思います。


 アニメというのは複雑な分業制によって生まれるものでありまして、通の目で見ようとすると多分に多層的な評価を下さなければならないのですが、その複雑さや多層さでいえば近年のアニメ番組の中でトップクラスに位置するだろう作品がこの、TVアニメ版『魔法先生ネギま!』という番組だろうと思います。


 簡単に思い出すだけでも、イメージCDやプロモばっかり作って伸びに伸びた放送開始、一話目からして納期ギリギリの仕上げ、狂った色指定の暴走、数々の原作無視と、サプライズも無くあっさりと描かれてしまう原作のネタバレ、スタッフ内の明らかな意思疎通の不備、ディレクティングによって管理されていない演出、「作画崩壊」っていう言葉は嫌いだから使いたくないんだけど、要は演出家や作画監督が満足に仕事できないくらいの悪質な現場体制、各種ゴシップ、仕舞いには2クール目からの監督・企画の交代劇、制作陣の入れ替え、それでも時折垣間見える不十分な制作環境と、単発的にだけクオリティが上昇するエピソード、製作会社が原作者に送ったレポートとオンエア内容の不一致、原作のダイジェスト展開、気合いの入ったテコ入れ(ヒロインの死)、事前情報と食い違うDVDの収録内容…………と、色々ありすぎるわけですが、これらのひとつひとつを取り上げて「ダメな作品だった」とか「誰それの責任」だとか言いようが無いわけです。


 基本的にはアニメの責任っていうのは(例え他のスタッフがやったことだとしても、チェックしてオッケー出すのは監督なので*1)「監督」がひっかぶるもんだと思うんですけど、その監督自体が交替させられてるんですから、結局は企画サイドやプロダクションサイドの責任問題に広げられそうで、ややこしい所です。
 もし感情的になって作品を批判したくなった時には、ここらへんの複雑さをある程度理解しておいた方がいいと思います。


 アニメ単体で見てみても、「シナリオ的には良かったと思うけど映像のクオリティが低すぎてライトな視聴者の評判は散々」だったり、「映像的には及第点だけど致命的な原作破壊や演出ミスを行ってファンを失望」させたりと、どうにも一口で評価しがたい番組シリーズだったと思います。


 例えば第1話を観てみた場合、ライトな視聴者は(一番目に付きやすい部分だから)作画レベルを問題にするわけですけど、それよりも問題だったのは演出や色彩設定とかであって、冷静になって観れば、作画やシナリオ自体はそれほど悪く無かったりするんですが、その上でまぁ、熱帯魚コスプレは無いだろう、とか、影指定くらいちゃんとしろよ、とかツッコミ所がボロボロ出てくる甘さがあったわけです。


 で、その「作り込みの甘さ」は監督が交代すればなんとかなったというレベルではなくて、体制を立て直してもやっぱり残るものでした。
 これは「スタッフが真面目にやればなんとかなる」レベルの問題ではなかった、ということだと思いますけどね。もっと根本的な、企画レベルの問題でしょう。

終盤のテコ入れ

 そんな感じで、監督交代後は単発的に良脚本や良演出や良作画がオンエアされて祭りが起こったり、やっぱり前期とそんなに変わってなかったり、相変わらず「シナリオは良いけど演出が……(またはその逆)」というパターンが続いたり。


 残り4話っていう所で最後の切り札というか、テコ入れとして「泣かせ」に持っていくわけですけど、これ自体は以前の感想に書いた通り、それなりに評価しています。


 個人的にアニメのストーリーって「キャラクターに感情移入さえできればオッケー」っていう基準で観てたりするんですけど、その点で言えば、明日菜の描き方は合格。夕映とのどかは及第点。*2木乃香と刹那はよくわからんかったなぁ*3、というレベルだったと思います。


 ネギは感情移入しにくいっちゃしにくいんですけど、元々ヒロイン達から見て客体的なキャラクターとして描かれていたんだから、感情移入できなくてもオッケーかな、と(父親問題が投げっ放されてることも含めて。ネギはナギが消えた場所に居合わせてなかったし、アニメ版のネギは父親よりも明日菜の方が大事っぽいので、最終回でナギの存在を忘れていたことの辻褄は合う)。


 明日菜問題のオチの付け方は良かったと思うんですけどね。脚本家(大河内一楼)はうまいなぁって思いました。
 「告白するかしないかで未来が変わる」っていうアドベンチャーゲームのフラグ立てみたいな話ですけど、あれ、第2話で明日菜がネギ相手に「告白の練習」をしていたこととテーマ的に繋がってるんですよね。魔法ではどうしようもないことを、「告白する勇気」を出してなんとかするという。そこへ帰結させる為に「明日菜死亡編」があったと。
 「魔法は万能じゃない、わずかな勇気が本当の魔法なんだ」というキーワードをちゃんと拾った展開になっていて、そこだけはうまくまとめたなと思いますよ(まぁ、別に明日菜が告白できなくても、事情を知ってるエヴァがなんとかしたと思うんですけど、明日菜が自分で告白することができたっていうことが重要ですよね、あれは)。


 だから、この明日菜の感情にちゃんとオチを付けてる以上、この終わらせ方でオッケーだよなってのが個人的な見方です。
 ま、ご都合主義が効きすぎてる所や、設定面の疑問はボロボロとありますけどね。そういうのは割と二の次の評価ポイントなんで。


 ……で「シナリオはいいんだけど演出がなあ」の最たるものが31人パクティオー(笑)。連続キスなんて、視覚的に辛い描写にしかならないんだから省略すれば良かろうものを。
 31人全員にムリヤリ見せ場(しかも原作無視の独自解釈全開)を作る所なんかは、「東映まんが祭り」を観てるようなおトク感とビミョーさが同時に漂っておりました。
 子供番組の劇場版って、大体ああいう強引なラストバトルでケリ付けますよね。原作の世界観じゃありえない新必殺技を脈絡も無く出したりとか、あの感覚だなあと。
 ま、これも「アニメ版独自のサービス映像なんだな」と割り切ってスルーするが吉。個人的には余計なサービスでした(笑)。


 とまぁ、良い点、悪い点の両方をできるだけ挙げてみたんですけど、作品としては「アリ」という結論にしておきます。スタッフの誠意もそこそこ感じることができたので、必要以上に批判を与えるつもりにはなりません。
 ただ、商品の売り方としてはナシですね。あまりにも見通しが甘すぎて。売る側から全然「売る気」や誠意を感じないのに、それが何故かDVDがバカ売れしたりするんだから、なんか釈然としないものです。


 でもAmazonにリンクは一応張っておきます。⊂二二二( ^ω^)二⊃ ブーン

おまけ

 アニメ版のクラスメイトレギュラー化推移表が完成したのでそれについてコメントを。
 結局、最後まで「意味のある役」をてんで与えられずに終わったのが、裕奈と美空(出番自体はあっても、別に他のクラスメイトでも代役できる内容だったので)。
 脇役のままメインキャラ扱いを受けなかったのが亜子、アキラ、五月、ザジの四人でした。


 「声優アニメ」としての側面のある番組だった以上、難しい所なんですけど、やはりムリしてキャラを出すのはマイナスでしかないな、という印象が残る全26話でした。
 逆説的に言えば、原作が「アニメ化しても一年以上話が保つコンテンツ」であることの証左にもなっているんですけど。
 どうなんでしょうね、二回目のアニメ化はホントにあるんでしょうか。してほしいような、しなくてもいいような。
 希望的観測を言えば、『いつだってMyサンタ!』を作った会社がそのままの流れで作るといいんじゃないか、とか。いやむしろプロダクションI.G.に企画を持ち込むべきかな。

*1:極論すると「チェックに手が回らなかったこと」自体が責任になる

*2:期待通り「友情の空回り」という所に落ち着けられていたので。ドロドロせんで良かった

*3:これは流石に急展開すぎ。ところで「学園を出て行った刹那がなんで学園に居るんだ」ってツッコミを良く見掛けるけど、刹那は「退学して影から見守ることにした」ってだけで学園から出て行ったわけではなかった筈。注意