「やおい対ロリコン」の関係(2)
先日id:XQOさん、id:kagamiさん、id:hititさんらからいただいたコメントから派生して。コメントありがとうございます。
ぼく自身、本文中で何度も「一部」と注意書きしていたように、先日の指摘内容は、やおい作品やロリコン作品の「一部」に対する指摘でしかありません。ボーイズラブを描きつつ、魅力的で前向きな女性が登場するBL漫画、というのもたまに見掛けるモンです。*1
id:kagami 『izuminoさんが指摘している潮流もあるんですが、それに匹敵する潮流としてカッコイイけどヘンタイ(笑)なお兄さんとロリっ娘でLOVELOVE潮流、及び、子ども×子ども、少年少女、ボーイミーツガール潮流の2潮流も先の潮流に匹敵する大きさであるので、一概には云えないかなと…(^^;』
id:kagamiさんが言うように、ある傾向を持った作品が「一部」に存在するということです。と同時に、同ジャンルの中において「自分の性を拒否する」作品から「拒否しない」作品が「幅広いグラデーションを描いて存在すること」自体、やおいとロリコンの似ている部分ではないか、という気がします。
あ、「気がする」だけですけどね。
この件についてはまだ考え中なので。
次に「男性読者は少女に感情移入しているか」「男性読者は自分の性に対して攻撃しているのか」という話について補足です。
良く言われるエロマンガの特徴として「セックス中に男の顔が描かれない」ということが挙げられます。まず顔が消え、胴体も消えます。ペニスだけが残ったり、そのペニスすらも少女に吸収されて「ふたなり」の部品と化したりもします。
これは単に「男は描くのが難しいから」「男の顔を見ても萎えるから」という理由もありますが、もっと大きな理由は「女の気持ちになって読みたい」という無意識的なニーズが読者にはあるからだというのがエロマンガ読みの通説です。
作中のヒロインに快感を与えるにしろ、羞恥心や痛みや絶望を与える時にしろ、読者は(男の立場で)加虐心を満足させる以上に、少女の立場で快感やその他の感情を感じ、満足しているのです。
でないと、エロマンガにおいて犯されるヒロイン側の心理描写やモノローグが多いことも説明できないのではないでしょうか。
id:nancyさんはid:nancy:20040802#1091405025で
「少女になりたい」という想いと同時に「でも少女を犯したい」という衝動もある、という風に判断してしまいそうなのですが、それでは間違っているのかな? あ、でもそれだと「少女になって男に犯されたい」という願望があるということになってしまうので、それは違うか。全然違うかもな。
とおっしゃってますが、これはその通りだと思います。まさに「自分で自分を犯す」ということ、二重の快感を想像しながら満足する、というのが男性向けエロマンガの基本構造です。ぼくはあまりエロゲーを遊ばないのですが、人によってはエロゲーにおいても同じことだと思います。
それともうひとつ、id:hititさんのコメントから。
id:hitit 『(前略)男性がロリコンエロ読むとき(AVもですが)の感覚ですが、「少女側に感情移入している」とのご指摘なのですが、私などはやはりあくまでも「ダメ男」側に自分を重ねている気がします。一般的に少女を相手にするポルノで描かれる「ダメ・悪」は「男性性の否定」というよりは「まさに男性的な性的暴力の免罪符」として機能しているのではないか?という疑念が消えません。。。(略)』
id:hititさんはあまり幅広くエロマンガを読んでおられないのでは、という気がするのですがどうでしょう。いや、id:hititさんの好きな読み方を変える必要は無いのですが、他の読み方が存在しないわけでは無いので。
(喩えが古くて申し訳ないですが)りえちゃん14歳という漫画家が居ます。彼は自分の描く女の子が大好きで大好きで完璧に少女と同一化しちゃってるタイプの作家で、彼と同タイプの漫画家は数多く存在しますし、そこらへんを「解っている」漫画読みはやっぱり女の子にシンクロして読みます。また、町田ひらくやもりしげや鎌やんといった作家達の作品を読めば、彼らが作中で振るう暴力は「免罪符」であるどころか、絶え間ない「自己批判」であることが解るのではないでしょうか。
しかもこの二つの読み方は同居することもあります。つまり、性的に虐げられる少女に同一化しながら男性性を憎悪する、という読み方だってあるのです。
余談ですが、まるっきり罪悪感を感じさせないロリコン漫画を描く人と言えば、一市裕納や最近の完顔阿骨打あたりでしょうね。この流れにある作品は、男性側に自分を重ねて読む人が多いと思います。
*1:それでも女性キャラはちょっとした「汚れ役」だったりするけど、嫌味な描き方ではない