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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

「やおい対妹萌え」の関係

 id:izumino:20040802#p2の続きです。

 ご返事ありがとうございます。
 まず最初に立場を確認しておくと、id:nancyさんの「やおい妹萌え」とぼくの「やおいロリコン」の考え方は、異なる観点から得られたものだと察します。なので無理に折衷させる必要も、ひとつの結論に帰着させる必要も無いと思いますが、互いに意見交換をする価値はあるような気がしたので、ちょっとお声を掛けさせていただいた次第です。お付き合い感謝しております。


 それでid:nancyさんの観点についてですけど、あくまで男性側の意見としてひとつ。

あたしがここで一番問題にしたいのは、「やおい」と「ロリコン」という関係ではなく、そこに含まれる、「同性愛」と「近親愛」という部分なのです。「どうして同性でなければいけないのか、妹でなければならないのか」の方なのです。

やおい」によって『対等な愛情関係』を創り出そうとした女子に対して、「妹萌え」によって男子が創り出したのは、『対等』ではなく、『否対等』な関係、つまり、『支配被支配の愛情関係』だったのだ。ただ、そこへ辿り着く行程が全く同じ構造をしていることは、変わりないけれど。

 これには「通常の異性愛恋愛に対するカウンター」というキーワードでも切り取れるんじゃないでしょうか、と思い付きました。
 つまり異性愛社会において、自分が性役割を演じたくない拒否したい、と感じた時*1に、女性は「同性愛」に対する憧憬が発生し、男性は「近親愛」に対する憧憬が発生するのではないか……、と、こんな理解でもいいでしょうか?


 その上でこの、異性愛性役割を拒否する男性のメンタリティをもっと具体的に言えば、「(社会的に)男になりたくない」だと言ってもいいかもしれません。彼らは「通常の異性愛恋愛のプロセス」を煩わしく感じているからこそ、「男」として認められる必要の無い、「家庭内の性愛関係」に憧れるのかもしれません。そしてこの「男になりたくない」というメンタリティは、やおい女性が時に口にする「女になりたくない」というメンタリティと符合しているかもしれない、と感じなくもありません。


 ただ、前の意見の繰り返しになってしまいますが、男性にとっての「異性愛拒否」「性役割拒否」から生まれる欲求というのは「近親愛=妹萌え」というジャンルの枠に留まらないような気が、ぼくはします。例えば近親愛の中には「マザコン」も含まれますが、これも胎内回帰といったモチーフを使用することで、通常の異性愛を拒否する形を取ることがありますから。
 近親愛に限らず、幼馴染み萌えとか、ロボット萌えとか、メイド萌えとか、SMとか、いずれも「通常の異性愛恋愛のプロセス」に対するカウンターとして機能していることに注目しても良さそうです。

前回で「やおい」への認識として、1.タブー、2.女性性の排除された空間、3. 精神的なプラトニック、4.絶対的な関係、5.差別されない(もしくは選別する側になれる)、 の5点を取り上げてみたわけですが、それらが、「妹萌え」にも共通しているのではないか、という事を思ったわけですよ。

 2.の「女性性の排除された空間」というのは、「通常の異性愛恋愛の排除された空間」と言い換えるとスッキリするような気も。
 そうするとこれって、ロボット萌えやメイド萌えや、SM的な主従関係なんかにも結構当て嵌まりそうです。個人的な主観ですけどね。
 だから、男性の意見としては、「相手が妹である必要がある」というより、「欲求の対象として妹が選ばれることもある」という感覚が近いかもしれません。

*1:これは本人に恋愛能力が欠如してるとか、そういった問題とは別次元だと考えた方がいい